――ポピュラー音楽をやりたかったわけではないんですね。
はい、そうではありません。でも、私がやっている現代音楽では、仕事にならないということはわかってもいました。面白いけれど、実験音楽みたいでしたから。ただ、歌謡曲よりはクラシックを聴くような家だったので、全くわけがわからなくて、「こういう曲で、本当にいいの?」って不思議に思っていたんですよ。
でも採用していただいたし、お小遣いも欲しかったから(笑)、2曲目を書きました。それが「ハッとして! Good」です。今まで飲食店で時給500円で働き、何かをこぼしたら叱られていた子が、スタジオに入ると「先生!」みたいに呼ばれるので、「世の中変だなぁ」と思っていました(笑)。変な運命というか、私の人生ではときどき予測のつかないものが、「ガッ!ガッ!」と向こうからやってくるんですよね。
――1980年に発売された「ハッとして! Good」は田原俊彦さん初のオリコン初登場第一位となり、大ヒットしました。ディスコ・ブームだった当時、ビッグバンド・ジャズ風の曲はとても新鮮でしたが、作詞作曲されたとき、これは売れる、という予感はありましたか?
そんなことは考えもしませんでした。まだ24歳で、訳もわからず、売れたら売れたで「あら、そう。お金が入ったらいいな」ぐらいで(笑)。当時仲の良かった人たちも、どちらかというとアート志向の人が多かったので、「歌謡曲、書いてるの?」みたいな感じで小馬鹿にされるし。お金は入ってくるけれどあまり人には言えないな、とずっと思っていました。
「ハッとして! Good」はインスピレーションで浮かんだ
――「ハッとして! Good」というキャッチーな歌詞の発想は、どこからきたんですか?
何も考えず「これでいいの?」と歌詞をつけて渡したら、本当に通ってしまいました。冗談のような話です。ちょうどその頃、日本語の歌詞に英語を積極的に入れる風潮が産まれていました。私はアメリカにいた経験があるので、「なるほど、英語を使う方法もあるのね」と思ったわけです。今はK-POPなどでも英語を入れるのが当たり前ですが、その初期ですね。