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 私は作詞の勉強をしたこともないですし、頭で考えて作るよりも、インスピレーションみたいなものが大事だなと思ってます。ある意味で、書いたのは自分じゃないとも思うんです。

田原俊彦さん ©文藝春秋

――以降、多くの曲で作詞も手がけていらっしゃいます。

 ディレクターの羽島さんと話をしていたら、そういう流れになっていっただけで、別に意図的なものではなかったんですよ。

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――当時のキャニオンレコードは、中島みゆきさんをはじめシンガー・ソングライターを多く輩出していましたが、シンガー・ソングライターを目指していたわけではないのでしょうか?

 詞も曲も書けるので、「歌ったらどうか?」という話もいただきました。でも私は、歌が本当に下手なんです。聴いたら皆さん笑うと思います。自分でも分かっていますし、歌っても楽しくないですし。ずっとお断りしていたのですが、あまりにしつこく言われるので「じゃあ」ってデモテープを渡しました。それ以降、誰もその話はしなくなりました。論より証拠です(笑)。

――「宮下 智」というペンネームはどこから生まれたんでしょうか。

 周囲にあまり知られたくなかったので、盛岡夕美子という本名ではない新しい名前にしようと思いました。そこで、男性か女性かわからない名前でペンネームを考えてほしいと羽島さんにお願いしたんです。羽島さんは字画にも詳しかったので、「田原俊彦」という名前との相性も見てくださって、この名前になったそうです。

メリーさんと初めて会ったハロウィンの日

――80年代に入り、ジャニーズ事務所は田原俊彦さんの大ヒットで全盛期を迎えます。ジャニー喜多川さん、メリー喜多川さんと出会ったときのことは覚えていますか?

 ジャニーさんと初めて会ったのは、どこかのスタジオか、会議室か……、もう何十年も前でよく覚えていないんです。

 

 でも、メリーさんとの出会いは、面白いご縁だったのでよく覚えています。メリーさんに一番最初に会ったのは、ハロウィンの日だったんです。その日、私は知り合いのハロウィンの仮装パーティに呼ばれていたのですが、同じ日にトシちゃんのイベントがあり、メリーさんがそこで会いたいとおっしゃってくださったので、仮装パーティーの前にトシちゃんのイベントにも行かなければならなくなったんです。