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遺体を背負い、山から下ろした人の証言

 小林さんから猟友会のメンバーの一人、佐藤浩人さんを紹介していただいた。佐藤さんは、1、2件目の事件が起こった杉沢地区に住んでおり、キノコ栽培をするかたわら、猟友会の会員として、有害鳥獣駆除に参加している。2件目の事件が起こったときには、消防団員として被害者の捜索隊に加わった。
 
「今、59歳で、33年前だから26歳のときかな。あそこんちのお母さんが亡くなったとき、消防団で捜索に入ったんです」

 何十人もが朝の4~5時ごろに集まって、山に入り、ローラー作戦を行った。クマがまだ付近にいるかもしれないので、猟友会が銃を持って先導した。佐藤さんは当時は猟友会員ではなかったので、銃は持たなかった。被害者のBは、捜索開始後、ほどなく見つかったという。

「ひどかったな、あれは。なかなか見て気持ちのいいものではなかった。俺、(遺体を)持ったけど。甥っ子が背負って、本家のお父さんと俺とで。肋骨が出てた。地元だし、知ってる仲だし。クマの被害っていうのは、ひどいですよ。嫌だったよな。ああいう経験は、したくないね(佐藤さん)

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 からりとしているが、山や動物、命と関わる者の独特の重みを含んだ言葉だった。

「とにかくクマは頑丈。軽トラでドンとぶつかると、軽トラの方が全損するんです。前の部分、なくなるよ! 以前、JRにぶつかって事故ったクマを捕まえたことがあるんですけど、列車に飛ばされても死んでなかった。頭をエアライフル銃の弾で撃っても傷つかず『何かあった?』みたいな顔してますから(佐藤さん)

 佐藤さんの話を聞きながら、富樫さんの事務所で見た、銃弾が貫通しても生きていたクマの頭骨を思い出した。クマというものは、人間の想像を絶する身体能力と生命力を秘めた生き物らしい。

なぜクマは人を襲うのか?

 佐藤さんによれば、事件を受けて猟友会がクマ狩りを行った際、1週間で7~8頭のクマを捕獲したという。この話は新聞には書かれていなかった。そして、このときのクマたちも結局、加害グマであったかどうかはわからなかったという。しかし、3件目の事件以降、戸沢村で惨劇が起こることはなかった。

 結局、加害グマがかつて戸沢村に滞在したかは不明。だが、現地に赴き、お話を聞いてわかったことはある。

 クマは今なお人の暮らしの近くで共存していること。人間の領域とクマの領域が交叉したときに事故が起こり得ること。それぞれの領域は、気象や人間の都合などで、常に変化していること。

「高齢化、過疎化、薪から化石燃料への変化で薪を採っていた山は手入れをしなくなってしまうといった理由で、山林が荒廃し、人里と山の境界が曖昧になっていることが、クマが人里まで降りて来る理由の一つだと思います(小林さん)

 佐藤さんは、シイタケ栽培用のビニールハウスを指差し、教えてくれた。扉の一部が、裂けて傷ついている。

「これクマだよ。爪で引っ掛けて鼻入れた跡。昔は裏手の山肌は歩くけど、ここに出なかったんですよ。ここ1、2年だね」

 その変化のスピードは、思いのほか早いのかもしれない。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。