1988年5月から10月にかけて、ヒグマに比べて凶暴性が低いといわれるツキノワグマによる、3人が死亡した「戸沢村人喰いグマ事件」。調査していくうちに「奇妙な謎」にぶつかった。「加害クマはかつて村内の集落で育てていた個体らしい」というウワサは本当なのか?
明治、大正、昭和、平成、令和に起きたクマにまつわる事件を網羅した新刊『日本クマ事件簿』より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/#2を読む)
◆◆◆
第1の死亡事件――沢で山菜採り男性が襲われる
1件目の事件は、1988(昭和63)年5月25日に起こった。山形県の戸沢村神田に住む農業を営むA(61歳)が、午前10時ごろに山菜採りに出かけたまま戻らないと、新庄署に午後9時過ぎに届けがあった。
家族や地元消防団員約30名が付近の山林を捜索したところ、午後10時ごろ、杉沢集落から500~600m上流の杉沢で仰向けに倒れているところを発見。着衣はボロボロになり、リュックサックや所持品が散らばっていた。尻や両足太腿の筋肉が後部から削ぎ落とされており、両足先や腕にも傷があった。この様子を見て、一同は「クマだ!」と直感したという。
4人が連絡のために降り、6人が現場に残った。その約40分ほど後のこと、暗闇の中で音がした。懐中電灯の灯りを向けると、クマの姿が浮かび上がった。
「クマだ!」、全員で威嚇の声を上げながら石を投げつけた。すると、ブナの木の下にいたクマは間もなく姿を消した。6人は、遺体の回収を断念し、「オーイ、オーイ」と声を出し、クマを警戒しながら、大急ぎで下山したという。
翌26日午前5時、消防団員・新庄署員10数名に、猟友会ハンター6名が加わり、現場に向かい遺体を回収。検視の結果は、失血死。Aは、山菜採りの途中にクマにばったり遭遇。逃げようとしたところを後ろから襲われ、沢に転落して亡くなったと断定された。
事件を受け、地元猟友会は、有害鳥獣駆除の緊急許可を得て、5月27日から翌月4日までの1週間、事件が起こった神田地区の中沢付近を中心にクマ狩りを行うことにした。しかし、この時のクマ狩りの成果はあがらなかったと、新聞には書かれている。