自殺現場となった公園は、繁華街や観光地からは離れた閑静な住宅街の奥地にひっそりとたたずむ。最寄りは路面電車の終点となる蛍茶屋駅で、立ち並ぶ高層マンションを尻目に脇道へ入って進み、10分ほど歩くと行き止まりになる。「本河内低部ダム」というコンクリートダムの堤防があるためで、これに沿って小さな2つの広場が設けられている。
1つは進んできた道と地続きで整地されており、放課後は日没まで子供たちの楽しげな声が絶えない。もう1つは高台にあり、舗装された長い階段を上って行かねばならず、たどり着くために労力が掛かる割に狭くて遊具もないためか、人が立ち入ることは少ない。勇斗くんは後者の広場で、生い茂る雑草に紛れて立つ桜の若木の枝にロープを巻き付け、首を吊った。
ショルダーバッグに残された「勇斗くんの遺書」
翌21日朝の発見時、勇斗くんが身に着けていたショルダーバッグには、A4サイズのコピー用紙2枚と、本人が好きだったというアニメ「名探偵コナン」のイラスト付きの小さなメモ用紙2枚が残されていた。
遺書となった計4枚に記されていた内容の一部を引用する。明らかな誤字脱字は修正し、傍線は原文の表記にならった。
〈第1発見者へ
もし見つけたら、けいさつ(警察)を呼ぶとき、もしできるならサイレンなしとかにして、マスコミにかぎつかれないようにして、周囲の人や家族に迷惑をかけてたくないし、静かにしたいし、なかったことにできるだけしたいから。
なんどもいうけど、この状況になったのは、周囲のだれでもなく、自分の責任(自己嫌悪)だから。でもまったく周りがそういうことがなかったかっていうと難しい。でもほとんどそういうことは、自己嫌悪につながった。
家柄的にも不登校にもなれず、相談するような人もおらず、第一コミュニケーション能力もなかった。学校にいくたびにトラウマの如く頭痛がする。
いままでの自分が中3の時から崩れ始めた。今が一番苦しい。昔のように友達と話す機会も減り、disられるのを恐れ、鼻息や呼吸が荒く、緊張し、つばがたまる。
手も足も体も頭も、自分ではないのにすごく震える。家に着くと、ため息やひとり言が増え、頭痛もする。
どこか誰ひとりぼくを見てない場所に行きたい〉
遺書には「家柄的に」と仰々しい言葉が使われてはいるが、福浦家は何てことはない、日本のどこにでもあるような共働きのサラリーマン家庭だ。
貧しくもなければ、過剰に裕福でもなく、一家は年に数回の家族旅行を楽しみに暮らしていた。4人家族で勇斗くんの自殺当時、父親の大助さんは49歳、母親のさおりさんは45歳、長男の敬(仮名)くんは18歳だった。