1ページ目から読む
2/3ページ目

父親に尋ねられ、「はい、ごめんなさい」と伝えたこと

――野球と演劇、全く違う分野かと思いますが、声が掛かったときはどう思われましたか?

水上:すごい綺麗ごとのように聞こえると思うんですけど。僕は特待生として高校に入学して、色々な面で優遇して頂いてたんですよ。恵まれた待遇を受けて甲子園を目指していたのに、僕たちの代は長崎県大会ベスト8で終わってしまったんです。僕の代の前後5年くらいは、県大会の決勝に行くのが当たり前とか、甲子園にも行くレベルだったし、ずっと先輩たちの活躍を見ていたのに、最後の試合でそんな結果になってしまって。自分たちの至らなさに、「はぁ……」となりましたし、試合に負けた瞬間はあまりのことに涙も出なかったです。

 

 でも、球場で親の顔を見つけたときに涙が急に出てきて。今まで道具代とか怪我の治療代、心配もたくさんかけましたし。それに加えて、野球の技術以外の部分、人としての生き方みたいなものを学校ではたくさん教えてもらって、創成館高校に行って良かったなってずっと思ってたんです。

ADVERTISEMENT

 だから恩返しじゃないですけど、学校のためになるならと思って喜んで引き受けました。それに、今まで野球しかやってこなかったから、自分が何か他のことを知っていく、いいきっかけになるかな、くらいの気持ちでしたね。

――その後、大学に進学されますが、すぐに芸能界で活動されていきます。高校時代の舞台でお芝居の楽しみに目覚めたのでしょうか。

水上:大学は野球で選んだんですよ。野球の設備が良かったし、大学生活も経験してみるのもいいかなって。

 ただ、大学入学直前くらいのタイミングで『中学聖日記』のオーディションも受けていたので、大学生活を続けるのは結果次第になると思っていました。オーディションに受からなかったら大学に行きながら仕事のある時だけ上京しようかとは思っていました。結果的に『中学聖日記』の主人公の相手役が決まったので一旦上京して。そこからずっと仕事が続いて、休学して2年経った頃に父から電話があって、「もう、いいよな?」と聞かれ、「はい、ごめんなさい。ありがとうございます」と伝え中退を決めました。

 

 結局大学も1カ月しか行ってないし、キャンパスライフもほぼ味わってないんです。勉強は、また自分が学びたくなったタイミングがあれば、そのとき考えたいなって思います。