Q 事実上の更迭劇で印象に残るあの言葉…「記憶にない」はなぜあれほど政治家に使われる言葉なの?
旧統一教会問題の追及を受けていた山際大志郎経済財政・再生相について、岸田文雄総理大臣が事実上更迭する一連の動きがありました。
山際氏をめぐっては、記者会見で「覚えていない」「記憶が定かでない」という言葉がよく出ていたような気がします。政治家の答弁全体を振り返っても、しばしばこの「記憶にない」という言葉がよく使われるように思うのですが、この言葉はどうしてそれほど頻繁に政治家が使うのでしょうか。(10代・男性・学生)
A 最初に聞いたときは「この手があったか!」と…
これは「ウソをついたのではない」と言い訳できるからです。
この言葉が言い訳に使われるようになったのは、私の記憶では1976年のロッキード事件での国会証言です。田中角栄元総理の友人(刎頸の友と呼ばれた)の小佐野賢治が国会に呼ばれ、証言を求められたときのことです。ここでウソをつくと議院証言法違反で罪に問われます。かといって全部正直に証言してしまうと、自分や田中元総理の責任問題が出てきます。当時、私は「どのような証言をするのだろう」と注目していたのですが、ここで登場したのが、この言葉でした。「記憶はございません」などと繰り返したのです。
これを聞いたとき、私は「この手があったか!」と驚きました。つまり、追及内容を否定して、後になって事実が発覚したら罪に問われますが、「記憶にない」と言っておけば、他人は証言者の頭の中を覗けませんから、ウソをついたかどうか確認できないのです。
また、後になって事実が発覚したら、「あのときは記憶がなかったのです」と言い逃れができるというわけです。
少なくとも山際前大臣には、こういう言い逃れができるということに関する記憶はしっかりあったようです。