10年目で大リーグ昇格を勝ち取ったのは、課題をクリアし続ける力があったからにほかならない。契約の厚い壁が立ちはだかる一方で、ソト(パドレス)やアクーニャ(ブレーブス)のように10代であっという間にマイナーを駆け抜け、100億円単位の契約を手にする者もいる。その中で10年間努力を続けるには、「勉強が好き」と過程に喜びを見出す知性が必要だ。日本でプレーすることになれば、この探究心が環境への順応に生きるのは間違いない。
指名の裏にプレゼンへの自信?
大リーグの野球はパワー重視に変わり続けている。三振の許容、フライボール革命など、過去の常識を変えるブームが起き、今季のナ・リーグの指名打者制への移行が決定打となった。例えば、これまで投手の役割だった送りバントは、投手が打席に立たなくなったことで消えた。ブレーブスのチーム犠打数は「1」、ドジャースは「3」だった。1試合平均ではない。今シーズンのチーム総犠打数である。
投手への代打がなくなったことで交代選手もあまりいらなくなった。かつてカージナルスなどでプレーした田口壮は、大リーグ8年間で3度のワールドシリーズを経験した。ナ・リーグの強豪チームが田口のような選手を必要としていたからだ。大きなダイヤの原石でなく、小粒でも磨き抜かれ、すぐに指輪にもイヤリングにもネックレスにも使える。そんな駒が求められたのだった。
時代が変わり、ユーティリティ選手として評価されている加藤の出番は、現在の大リーグでは決して多くないはずだ。だから日本で主力を目指すことには価値がある。ただ、一度でもメジャーのフィールドに立った者にとって、大リーグは抗いがたい魅力がある舞台だろう。また、その舞台を自分の力で勝ち取ったという自負もあるに違いない。
日本ハムは2007年のドラフトで、大リーグ15試合に登板した多田野数人を指名して入団させたことがある。2012年には、大リーグ行きを熱望していた大谷翔平を指名し「夢への道しるべ」と題したプレゼン資料を提示し、二刀流での育成を約束して翻意させた。岩手・花巻東高から直接大リーグ入りしていれば、投手専念が既定路線だった。日本ハムの企画力が大リーグの歴史を変えたのだ。
論理的思考で米球界の熾烈な生き残り競争を切り抜けてきた加藤に、どのようにアプローチするのか。指名の裏に、日本ハム首脳のプレゼンへの自信があるのは確かだ。