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「ちょうど1年前くらいですかね、ジュリーさんとキンプリの溝がさらに深くなってきたんです。平野も岸も、ジャニーさんの遺志でもある海外公演の実現に拘っていましたが、個人スケジュールがパンパンでその日程が取れる状態ではなく、強い不満を抱えていました。事務所スタッフからも、平野が愚痴っているという話はよく聞いていました」(同前)

 ファンクラブで公開された動画でも平野、岸は海外進出についての拘りをこのように語っている。

脱退について語った動画(ファンクラブサイトより)

「デビュー当時から海外で活躍できるグループを目指してここまでやってきました。ドラマや舞台、バラエティなどに出させていただきながら、海外に通用するスキルを身につけることを同時にやる器用さが自分にはなく、だんだんと夢と目標に、自分の実力の差とギャップを感じるようになっていきました。そして、海外で活躍できるグループになるためには今のままでは到底無理だと感じるようになっていきました」(岸コメント抜粋)

「改めて自分の年齢と向き合った時に、海外で活躍できるグループを目指すというのは、そこにグループのそれぞれの活動方針を踏まえた上で全力で取り組んだとしても、もう遅いなと感じてしまい、目標を失い、今回の決断に至りました」(平野コメント抜粋)

 時期を同じくして、「仲が良かった」はずのメンバー間にも徐々に歪みが生じはじめたという。「最初に険悪な空気になった」のは平野と永瀬だ。

平野と永瀬に生まれた“溝”「ついていけない」

「平野はかなりストイックなんです。コンサートでも全員のダンスがピタッと揃わないと許せないタイプ。コンサートの前には事務所関係なしに自分でスタジオを借りて、メンバーらに声をかけて自主的にレッスンを行なっていました。

 当初はそれでも問題なかったようですが、次第に永瀬が『ついていけない』と愚痴をこぼすようになっていきました。永瀬も個人仕事が増えてきた時期だったので、実際大変だったとは思います」(ジャニーズ事務所関係者)

脱退について語った動画(ファンクラブサイトより)

 別のジャニーズ事務所関係者はこう明かす。

「永瀬は関ジャニの大倉や関西ジャニーズJr.『Aぇ! group』の正門良規の伝手でジュリーさんと食事に行くこともありました。9月25日に最終回を迎えたドラマ『新・信長公記~クラスメイ将~』(日本テレビ系)の主演を任されたのは、そんな“根回し”が上手くいったんだと思います。いいドラマ仕事をとるには、まずジュリーさんの目に留まらなくてはいけませんからね。

 ただ一方で平野や岸からすると、そんな永瀬が『媚びている』と見えていたようです」

 ジャニー氏の遺志を継いであくまで海外進出にこだわった3人と、国内での活動に光を見出し始めていた2人。両者の思いが交わることはなく、別々の道を進むことになったというわけだ。

 滝沢秀明氏も退所し、“ジャニーチルドレン”が次々に去っていくジャニーズ事務所。今後、どこへ向かっていくのだろうか。

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