弟子たちにどれだけ“理不尽”なことを命じても、なぜ立川談志は尊敬され続けたのだろうか? 談志の弟子にして、落語立川流真打である立川談慶氏の新刊『武器としての落語 天才談志が教えてくれた人生の闘い方』の一部を抜粋。
そこには人間の機微を知る、談志流の心遣いがあった。(全2回の2回目/前編を読む)
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叱られているうちは見込みがある証拠
コロナ以前の仕事の手法はマンツーマンがメインでした。前座の仕事は、このマンツーマンの極致といってよいでしょう。
寄席には多くの師匠方が出入りします。みな個性の強い方たちですから、一人ひとりその日の気分を察して対応しないとしくじります。
それだけではなく、お茶一つにしても濃くて熱いのが好きな師匠もいれば、薄くて温めが好きな師匠もいるといった具合に千差万別です。中には「お茶は飲まねえ」という師匠もいます。お茶一つをとってもその人に対応しなくてはいけません。
しかし、現実にはそこまで自分の好みを強く求める師匠は少ないですが、お茶の入れ方を極端にカリカチュアしたのが、わが師匠の立川談志だったと思います。
「新入りか。じゃあ仕事与えてやるよ」
ある先輩の落語家から聞いた話です。立川談志なら実際にやったかもしれないと思わせる伝説を一つ紹介します。
その先輩の落語家が前座のころ、楽屋に見習い前座がいたそうです。その見習い前座と談志の目が合って、「新入りか。じゃあ仕事与えてやるよ」と。つがれたお茶をぶちまけて「拭きな」と言ったとか。
見習いや前座というのは、ぼさっと突っ立っているといちばん叱られます。ですから、仕事を与えられると嬉しいものなのです。与えられた仕事をこなすと働いているというアピールにもなります。
立川談志のキャラが認知されているので、こんなまことしやかなエピソードが語り継がれているのだと思います。