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――それはすごい。登山関係者が多数証言しているので、気になるエピソードばかりでした。たとえば、愛子さまを含めた3人で山を歩かれるようになってからのこと。

 小学生の愛子さまは、那須山岳救助隊元隊長の方が手を貸そうとしても「いいです」と自分の力で歩かれた……というのは特に印象的です。愛子さまの成年会見を振り返ると、どことなく意思の強さを感じます。あのご両親あって愛子さまあり。親子で似ていますよね。皇太子時代の陛下は、あまりご自分を出されなかったというか、個性やチャーミングなご様子が伝わりにくく、ご家族でどんな風に過ごされているかも知られないままでした。

自分の荷物を絶対人に担がせない

大木 山行中の陛下は、自分の荷物を絶対人に担がせないそうです。あるとき、山岳写真家の白簱史朗さん(故人)に陛下が「山岳写真をきれいに撮るにはどうしたらいいですか」と相談された。すると白簱さんは「殿下それはね、まずカメラから三脚から何から全部自分で担ぐことですよ」と伝えたそうです。その言葉を実践されているのかどうかは分からないですけれども、重いときは20キロ以上の荷物を自分で担いでいたそうです。

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――たしか陛下は愛子さまを背負って登山されたこともありました。ほほえましい場面でしたが、「皇太子が子どもを背負うとは何事だ」といった声も当時はあったと思うんです。もし母親である雅子さまが背負っていたらこういう批判は出ないのでは、などと複雑な思いをした記憶があります。大木さんはどういう風に受け取りましたか?

©時事通信社

大木 2002年8月、栃木県の那須御用邸で静養中に沼原湿原を3人で散策されたときのことですね。「山ガール」という言葉が流行語になったのは2010年ですから、那須を散策されたのはそれよりかなり前になりますが、すでに「山ブーム」の兆しがあったように思います。「背負子」のようなものに小さな子どもを乗せて担いで歩く若いお父さんがたくさんいました。そうやって世間の普通のお父さんのように、子どもを背負って歩く陛下の姿を「ああ、いいな」と思って見ていました。

――連載第3回にある〈16年にできた祝日「山の日」の式典の後、長野県の上高地を散策する家族3人の姿は、自然な光景として山に溶け込んでいた。最近の陛下は、1人での登山でも、すれ違うほぼ全員に声を掛け「一緒に写真はどうですか」と自ら誘うほどの親しみやすさを見せるという〉(2019年9月19日、47NEWS)というエピソードも初めて知ってびっくりしました。雅子さまと愛子さまがご一緒だと、人間味やユーモアあふれる言動が出やすいような気がします。

2016年8月、第1回「山の日」記念全国大会出席などのため長野県を訪問し、ホテルに到着されたご一家 ©時事通信社

大木 そういえば、雅子さまとの結婚の前後から陛下の「山ファッション」が急激におしゃれになったように感じられて、ほほえましく思いました。陛下と雅子さまの初めての2人での登山は1994年6月、東京・奥多摩の高水三山(793メートル)でした。同年9月には北海道・知床の羅臼岳(1661メートル)へ登り、ごく普通のカップルの登山者といったご様子だったそうです。

雅子さまと愛子さまを支えるご姿勢

――公務や訪問先で雅子さまがご一緒だと、天皇陛下はとても嬉しそうになさいます。今年の誕生日会見では、愛子さまが成年皇族になられた心境について、「小さかった愛子がもう二十歳になった、そして大人の仲間入りをした、そういうような深い感慨を覚えました。そして今後とも、本当に幸せな人生を歩んでいってほしいというように、そのように心から願いました」とおっしゃいました。

 陛下が雅子さまと愛子さまを支えるご姿勢は、変わらないですね。やはり陛下は、これと決めたものはずっと続けるタイプの方なのでしょうか。

1994年10月2日、第12回アジア競技大会広島1994開会式にご臨席 ©JMPA

大木 こと登山に関しては、その通りだと思います。ちょっと他のエピソードは分からないのですが。陛下は1993年に幼少時代を振り返り、著書『テムズとともに』でこのように書かれたことがあります。

「外に出たくともままならない私の立場では、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができた」

 ここで言う「道」とは、塀に囲まれた東京・赤坂御用地で偶然見つけた古い街道の跡のことです。この道の先には一体何があるのだろう。閉ざされた世界で育つことを強いられた幼い日の陛下は、想像の世界で塀の外へと飛び立ったのではないでしょうか。やがてその「道」は、「山」へと続く登山道となりました。陛下の初登山はわずか5歳のときで、場所は長野・軽井沢の離山です。標高1200メートルほどの頂上に、上皇さまと共に立たれました。これが陛下の人生を貫く柱の一つ、登山の始まりでした。