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茅ヶ崎出身の桑田佳祐があえて「宮城県」から全国ツアーをスタートした理由《ソロ活動35年》

“約束の地”で怒濤のスタート

2022/11/12

「帰ってきましたー!!」

 8000人の観衆で埋まった会場に、大音量でお馴染みの声が響く。

 11月2日、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで「桑田佳祐 LIVE TOUR 2022『お互い元気に頑張りましょう!!』」が開催された。

 全国五大ドームでの公演を含むツアーの初日。幕開けが宮城なのは、ここが桑田佳祐にとって「約束の地」だからだ。

撮影 西槇太一

2011年3月の東日本大震災「自分にできることは?」

 2011年3月の東日本大震災発生時、桑田は東京の放送局のスタジオにいた。直接は被災しなかったものの、次々と入る悲惨なニュースに心を痛めた。

 折りしもその前年に大病を患い、手術の末に復帰していた。当たり前の暮らしや人の命の大切さを痛感していたところだったので、なおさら胸に沁みた。

「自分にできることは?」と考え抜いた末に、11年9月、壁面にヒビが残る宮城・セキスイハイムスーパーアリーナでライブを敢行した。時期尚早だなどと批判を受けることも覚悟していたが、意外なほどあたたかく迎え入れられて安堵した。予後の心配をされたりと、むしろ励まされることのほうが多かった。

 

 被災地と真摯に向き合ったその体験は、以降の音楽活動のベースとなった。震災から10年を機に受けたインタビューではみずからを「復興世代」と名づけ、今後も「音楽人として東北に向き合い、復興のために活動する」と語った。

“約束の地”で怒涛の全国ツアーをスタート

 宮城のアリーナ敷地内には、3本の桜の樹がある。2011年の震災後の宮城ライブ開催をきっかけに、桑田が2012年に記念植樹したものだ。小さかった苗木は、いまや堂々たる若木に育った。今回のライブで現場に着いた桑田は、紅葉した3本の樹をしみじみ眺めてから会場入りした。

 ツアー初日、いざライブが始まると、桑田は数々の名曲を怒濤のごとく繰り出していく。