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「猪木を生きて返すな」黒いジャンパー姿の男たちが襲撃…アントニオ猪木、伝説の“喧嘩マッチ”

『プロレス喧嘩マッチ伝説~あの不穏試合はなぜ生まれたのか?~』より#1

2022/11/25
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 4ラウンド。猪木は腕十字に持ち込むが、またも寝技3秒ルールに阻まれる。するとザ・モンスターマンはジャンプしての足刀が顔面にヒットし、ダウンする猪木。起き上がると猪木は片足タックルでテイクダウンを奪い、上からヒジを顔面に押し付ける。これはゴッチ流か。

 5ラウンド。ザ・モンスターマンの打撃に苦戦する猪木だったが、足を掛けてテイクダウンさせると、ザ・モンスターマンは後頭部を打ってダメージを負う。

 勝負に出た猪木はテーズ式パイルドライバー(リバース・スラム/今でいうところのパワーボム)で叩きつけ、さらに追い打ちのレッグドロップ(ギロチンドロップ)を投下。ダウンを喫したザ・モンスターマンは立ち上がろうとするが、左肩を押さえて立てず、10カウントが入り、猪木のKO勝ち。

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 緊迫感が溢れる格闘技戦を制した猪木は両手を挙げ、レスラーたちが作った騎馬に乗り男泣きをした。アリ戦で負った汚名を試合で返上したのである。

アントニオ猪木さん ©文藝春秋

 この一戦がきっかけになり、新日本の観客動員数や視聴率は回復していく。テレビ朝日は特番で猪木の異種格闘技戦シリーズ(格闘技世界一決定戦)を組むようになり、新日本はその放映料でアリ戦で負った借金返済を果たしたのである。

 猪木は後年、ザ・モンスターマン戦について「コイツのハイキックは振りが速くて見えないんです。しかも二段蹴りというか、上下でトントーンと蹴ってくるのでかわし切れない。飛び蹴りにしても、絶対届かないだろうと思える距離からシューンと伸びてくるんです。こいつは怖かった」と答えている。(「Sports Graphic Number PLUS January 2000 格闘者 魂のコロシアム」文藝春秋)

 死闘を繰り広げた末に敗れたザ・モンスターマンは後年「猪木は偉大な人物であると共に、偉大なファイターだった。その世界で成功するために、長い年月を練習に費やしたのだろう。彼は大きくて力強かったが、私が人生で出会った人間の中でも最高の紳士的で思いやりのある人物のひとりだった。そして、いい試合を私に与えてくれた」と語った。(那嵯涼介『最強の系譜 プロレス史百花繚乱』新紀元社)

 猪木と新日本が仕掛けた異種格闘技戦シリーズが総合格闘技(MMA)の源流とするなら、この猪木vs ザ・モンスターマンがなければ総合格闘技の誕生や発展はなかった。そう考えるとこの試合はプロレスと格闘技の歴史を変えた一戦だったのだ。

アントニオ猪木さん ©文藝春秋

最強の格闘技はプロレスか、空手か

 1978年から1981年まで「週刊少年マガジン」で連載された梶原一騎原作の漫画作品『四角いジャングル』。新日本プロレスや極真空手、キックボクシングなど格闘技界の動向を取り入れたリアルタイム格闘技漫画として人気を呼んだ。

 この作品の影響もあり、「最強の格闘技はプロレスか、空手か」という機運が高まる。そんなときに行われたのが、日本プロレス界の盟主である新日本プロレスの王者アントニオ猪木とフルコンタクト空手世界最大組織・極真空手の怪物ウィリー・ウィリアムスの対決。この試合はプロレスファンと格闘技ファンの夢だった。

 猪木は数々の異種格闘技戦を経て、あの前田日明よりも前に「格闘王」と呼ばれ、格闘技世界ヘビー級王者に君臨していた。

 一方のウィリーは映画『地上最強のカラテPART2』で熊と素手で戦ったことにより、「熊殺し」と呼ばれるようになった空手モンスター。

 1979年に第2回極真空手世界大会3位という実績を上げたウィリーは「最強の格闘技はプロレス」を掲げる猪木に「極真空手こそ最強の格闘技」だと挑戦状を叩きつけた。だが、極真空手の大山倍達総裁がその挑戦にストップをかける。第2回世界大会後にウィリーは極真空手から破門されるが、師匠・大山茂と新格闘術・黒崎健時がバックアップに回り、さらに梶原一騎が立会人となり、夢の対決が実現したのである。