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お見舞いに来た団長とクロちゃん

HIRO そうです。横で親が泣いていて「あれ? なんで泣いてんのやろ」という。こっちは、状況がいまいちわからない。僕は1週間くらい記憶がない感覚でしたけど、団長らに聞いたら2、3日ほどだったらしいです。その間にカテーテル手術をして、いろんな薬を投与されて、それもあって記憶が曖昧になってたようで。

 あと、動けないなと思ったらロープで縛られてたんです。朦朧としている間に暴れてたみたいで、そこも記憶がないんですけど。目が覚めてしばらくは、マネージャーが来ても「誰が来てたんやろ?」って状態でしたから。団長とクロちゃんもお見舞いに来てくれたけど、クロちゃんは腕時計をしきりに見ていて。やたら時間を気にしていたので「なにしに来たんや?」って感じでしたけど(笑)。

ーー症状の程度は。

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HIRO 先生に聞いたら、生きられる確率は20%やったそうです。ここにいてない可能性は、普通に高かったみたいですね。

ーー先生から「健康のためにも痩せなさい」みたいなことを言われたわけですか。

HIRO 先生にも言われましたけど、自分としてもお仕事に復帰したかったので。復帰するには、やっぱり痩せたほうがいいだろうって。

ーー1ヶ月ほど入院されたそうですが、病院の食事で痩せられた面もあったのでは。

HIRO ご飯が少ないので、やっぱり痩せました。入院して落ちたのは、10kgくらいですかね。入院の後半は普通に歩けるようになったので売店に行ったら「食べ物はあかん」と、買ったお菓子をすべて取り上げられました。「血圧が高いのに、こんなに塩分が入ったやつ食べちゃダメでしょ」って。「そりゃ、そうだよね」とわかるんだけど、病院のご飯は味が薄いからポテチとか食べたくなるんですよ。

退院直後のHIROさん

ーー痩せるだけではなく、和歌山に戻ろうとした理由は?

HIRO 家族が泣いてるのを見たらグッときて。とりあえず実家に帰って、ちゃんと痩せて体を徹底的に治そうと。

ーーダイエット前の食生活は、どういった感じだったのでしょう。

HIRO 自分で焼豚を5kgくらい一気に作っちゃうんですよ。で、冷凍保存しておいて、毎食1kgずつ食ってたんです。焼豚を1kg、ご飯を丼鉢2杯が基本。仕事のない日は、それを朝昼晩。カロリー的にはえらいことになってたと思いますけどね。

 僕、おやつよりもご飯なんですよ。ご飯も白米だけではなくて、おかずのほう。だから、焼豚や角煮を作ったり、カレーやシチュー作ったり、自分でなにか作って一食分ずつ冷凍して。で、食べる時に解凍するんです。いろいろ作ったやつを解凍して並べるんで、それはもうちょっとしたパーティーです。