1ページ目から読む
2/3ページ目

 賭博罪の時効は3年なので、これが事実だったとしても千代大海に罪を問うことはできない。また、当時は千代大海だけでなく幕内力士やそれ以外の相撲関係者でも裏カジノに行っていたと聞いている。一昔前の相撲界は秩序が乱れていたことが分かる話である。

千代大海と露鵬の大乱闘騒ぎ「カメラマンが負傷」

 振り返っていると、名古屋場所で力士の不祥事が起きることが多い。

 開催が7月と暑いのでイライラするという理由もあるかもしれないが、名古屋場所の会場であるドルフィンズアリーナの構造にも一因があるように思う。控室は東西に分かれているが、風呂は隣りあっている。そのため、対戦した力士同士が顔を合わせてしまい騒動が起きやすかったのではないか。

ADVERTISEMENT

 千代大海と露鵬(ろほう)が場外乱闘騒ぎを起こしたのも、名古屋場所での出来事だった。

 親方になった私が大鵬部屋を継承して大嶽部屋となったのが2004年の1月で、その年の初場所で十両に昇進したのがロシア出身の力士、露鵬であった。

 2006年名古屋場所7日目、露鵬ー千代大海の取組があった。勝負の後、土俵下で露鵬と千代大海が口論になりカメラマンが負傷した事件だ。昔からの相撲ファンは覚えている方も多いだろう。

2006年取組後、にらみ合う露鵬(左)と千代大海。露鵬はこの後、カメラマンを殴った ©時事通信社

理事長室で露鵬と殴り合いの喧嘩に発展

 両者の取組は、露鵬が土俵から出ていたところを千代大海がダメを押した形だった。それで揉めていたのか明確には私も分からないが、露鵬は頭に血が上ると訳が分からなくなるタイプだ。

 取組が終わって支度部屋に行くと、露鵬が「てめえ、この野郎」と千代大海に殴りかかろうとした。千代大海も「警察呼べ! 警察!」と大騒ぎ。みんなで止めたのだが、その時にちょうど毎日新聞のカメラマンがおり、騒動を撮ろうとしていたところを露鵬が手で払って飛んだ。そのときカメラのファインダーで目の上を切ってしまったことで大問題に発展したのである。

 露鵬は協会の理事長室に呼ばれ、私も親方として出向いた。ここで親方の私が露鵬を叱っておかないと露鵬の立場が悪くなると思ったので、「お前そんなことしたのか」と殴ったところ、ヒートアップしてしまい露鵬と理事長室で殴り合いの喧嘩になった。私が3発ほど殴ったところでみんなが制止したのだが、今度は逆に露鵬が「親方はいつも……」とタックルをしてきたのである。そこからまた殴り合いに発展。「もう止めておけ!」という北の湖理事長の一言で場は収まり、露鵬は3日間の出場停止処分で済んだ。