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「欧州や南米出身の選手とは違う眼で見られる理不尽」岡崎慎司がドイツで味わった“アジア人は下に見られている感覚”

岡崎慎司選手インタビュー #1

2022/11/27

コツコツやってはい上がった先に見えた北京五輪、そして……

――2007年トップチームに定着し、2008年には北京五輪代表にも選出され、その後はA代表の一員に。代表で活躍する岡崎さんに対して、長谷川健太さんが「光るものはなかった。今の岡崎は想像をはるかに超えている。何も言わなくても自分でコツコツやってはい上がるタイプ」とコメントを寄せている記事がありました。

岡崎 健太さんにそこまで驚かれているとは! コツコツというか、とにかく先輩にはいろいろアドバイスをもらいましたね。いろいろ訊ねて、言われたことをすぐにやってみると、また助言がもらえたんです。沢登(正朗)さんから「動き直しや連動した動きができる」と褒めてもらったことがあり、それが自分の武器だと考えていました。確かに足が速いわけじゃないけれど、そうやって動き直せるのであれば、いかに速く走れるのかを追求したいと思い、エスパルスのフィジカルコーチだった杉本龍勇(バルセロナ五輪出場のスプリンター)さんと走り方についてのトレーニングを重ねました。

 

――岡崎選手には著書に『鈍足バンザイ! 僕は足が遅かったからこそ、今がある。』がありますが、俊足になるための自主トレを実施したと。

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岡崎 単純にスピードを上げたいとも思っていましたが、杉本さんとのトレーニングでは走るというよりも、考えることのほうが多かったように思います。どんなフォームで走れば、ボールコントロールを無駄なくできるのか……とか、いろいろと確認しながら身につけていきました。ただ、すぐに結果が出るというわけじゃなくて、僕がヨーロッパへ移籍したあとも、フィジカルトレーナーとして10年近くいっしょにやってもらい、成長に繋がったと思っています。

――順調に日本代表のエースとしてキャリアを積んできたものの、2010年の南アフリカ大会では先発落ち。

岡崎 ゴールを決めていなかったという現実もありましたし、一定の「だよな」という気持ちはありました。当然ショックは小さくなかったですね。それで大きなショックを受けてしまうのが当時の僕の器というか、自分の力量なんだとも思いました。落ち込んでいられないという気持ちもあり、ただただ必死の大会。無我夢中でしかなかったです。

 

――その後、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ氏が日本代表監督に就任。2011年1月のアジアカップ優勝後に、ドイツ・シュトゥットガルトへ移籍します。

岡崎 ワールドカップが終わると、長友(佑都)やウッチー(内田篤人)、(香川)真司たちがヨーロッパへ移籍していたので、僕もという想いは強くありました。