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ワールドカップというものの重さを改めて感じた苦しい日々

――第3戦目のポーランド戦は先発しましたが47分に負傷して、途中交代し、岡崎選手のワールドカップが終わりました。

岡崎 結局ずっと足の痛みは消えることのない状態で、弱気になることもあったけれど、周りの「大丈夫だ。できる」という空気に支えられていた面は大きかったですね。それでも最終的にはまた怪我をしてしまった。今思えば、初めてというくらい追い込まれた毎日だったと思います。ワールドカップというものの重さを改めて感じた苦しい日々でした。でも、だからこそ、このままでは終われないと思ったし、自然とカタール大会を目指したいと考えていました。

 

――所属する英プレミアリーグ・レスターへ戻ってからも、先発出場の機会がなく、苦しい時間が続いたように感じます。

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岡崎 結局、怪我が治ってからも、痛みを抱えながらプレーしていたので、「この状態が続くなら、もうサッカーをやめよう」と引退を考えたこともありました。だけど、やっぱり「このまま終われない」という気持ちが残りましたね。

――ロシア大会から1年後の2019年夏にはスペイン2部リーグへの移籍を果たしました。

岡崎 レスターとの契約が満了するタイミングでの移籍です。レスターから何度も契約延長のオファーをもらったけれど、レスターで控えや中盤での起用に甘んじてしまうのはイヤだったし、スペインやイタリアでもプレーしたいという気持ちもあったので、常に移籍は考えていたんです。

――当初はマラガへの移籍が発表されたものの、クラブの財政問題などで、選手登録ができず、ギリギリのタイミングで同じ2部リーグのウエスカへ加入。

岡崎 移籍期間が終わる直前に手続きが完了したので、ヒヤヒヤではありましたね(笑)。僕のイメージとしては、2部からスタートしても、その後1部に昇格するということ。若いスペイン人選手とともに新しいチャレンジをするのは楽しかったですね。

障害となったのは、コロナ禍による移籍市場の停滞と……

――プレミアリーグ優勝クラブのレスターとスペイン2部のウエスカとでは、予算規模もまったく違います。一説によれば、年俸1000万円を下回る選手も少なくないと聞きましたが……。

岡崎 確かにプレミアリーグのクラブは世界一予算があると言ってもいいと思います。でもクラブの規模に関わらず、クラブが理想を掲げて、町の人たちに愛されるというのは変わらない。お金のことを考えたら、レスターで契約延長するのが一番ですから……。

――ですよね。そして、2部優勝を飾り、1シーズンで1部昇格を果たしました。岡崎選手も12得点を記録。しかし1部挑戦となった2019-2020シーズンは、難しいシーズンでしたね。

岡崎 監督が代わり、僕自身もチャンスが減ったと感じていました。チームとしても1部を戦える状態ではなかったと思います。2部に降格したこともあり、翌シーズンはカルタヘナへ移籍しましたが、ここでもなかなかチャンスは回ってこなかったですね。

 

――ワールドカップを控えた2022年シーズンオフは移籍先を探すところからのスタートでした。

岡崎 コロナの影響でここ数年移籍市場が停滞していることもあり、くわえて僕の年齢も障害となって、簡単にはいかないと思っていましたが、想像以上に難航しました。

――Jリーグへの復帰は考えましたか?

岡崎 そこは考えなかったですね。もし本当に所属クラブが無ければ、どうなったかわかりませんが、まずはヨーロッパでというのが第一でしたから。(#3に続く)

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