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 ほら、これが傑作選なんだわ、と呟きながら、「熊吠号」と背表紙に書かれたアルバムを繰った中川は、1枚の写真を指さした。川の中で真っ黒な羆の首元に食らいつくのは熊五郎だ。よく見ると羆は白い歯を剥き出して、熊五郎の喉笛を噛もうとしている。既に中川の弾が入っている状態とはいえ、自分の10倍以上も体重のある羆相手に一歩も引かぬ闘志は、尋常ではない。

熊五郎のアルバムより

「自分の犬、撃っちまったのさ」

 私はあるハンターから聞いた話を思い出した。彼が、犬を使う老ハンターとともに羆狩りに出掛けたときのことだという。前方にいかにも羆が潜んでいそうな怪しいヤブがあったため、その老ハンターは「羆いねぇか、ちょっと見てこい」と犬を放った。犬はヤブの周囲をひとしきり嗅ぎ回った後、尻尾を振りながら、老ハンターの元へと戻って来た。「なんだ(クマ)入ってねぇのか」と、2人がヤブに近づいた瞬間、「グワォ!」と突如、羆が立ち上がったのだという。

「オレは念のため銃を構えながら向かっていたから、その場で撃ち倒して事なきを得たんだ。ただじいさんは、いねえと信じ込んでたところから羆出てきたから、腰抜けちまってね。小便漏らしたんだ。問題はその後さ」、とハンターは私に意味ありげな目線をよこした。

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「そのじいさん、『このバカ犬が!』と言いながら、自分の犬、撃っちまったのさ」

 衝撃的な結末に私が絶句していると、ハンターは「山にはこういう凄いような寂しい話、いっぱいあるよ」と呟いたものである。その犬は羆狩りの経験豊富な犬だったというから、羆の痕跡に全く気付かなかったとは考えづらいというが、羆という動物と対峙するプレッシャーは、経験を積んだ犬をもってしても正常な判断を狂わせるものがあるということだろう。

 自ら羆の喉笛に食らいつく熊五郎がいかに特別な犬であるかがわかる。中川も頷く。

「他の人も犬連れてくるけど、羆を追っていく犬は、見たことねえ。ウチの犬だけだ。羆が逃げるとさ、ケツを齧るのさ。それで羆が怒って戻ってくる。そしたらサッと身を躱して、またウォンウォン吠える。そうやって30分でも1時間でも羆をその場に止めておける。そんな芸当ができるのは熊五郎だけだね」

銃の音を聞くと、熊五郎のスイッチが入る

 こんなこともあった。〈サシルイ川近くの工事現場で羆が出た〉という通報を受けて、中川らが熊五郎を連れて出動したときのこと。既に羆が目撃されてから3時間以上が経過しており、付近に羆の気配は既になかったが、パトロールがてら熊五郎を放したのだという。

「ダダダと駆けていったかと思うと、ものの2~3分ですぐに吠えて絡み出した。いないように見えて、すぐ近くに(クマが)いたんだね。ちょうど一緒に行ったハンターの目の前だったから、『撃て』って言ったんだけど、ビビっちゃって撃たねぇのよ」