「それはRTだな。犬殺しの」
「過去に対峙した中で最も危険だった羆(ヒグマ)は?」と私が問うと、ハンターの中川正裕は間髪入れずにそう答えた。
事の発端は、2018年8月1日午後2時ごろ。羅臼町で漁業を営む40代の男性が、立ち寄った祖母宅である異変に気付く――犬がいない。祖母宅では2匹の犬を外で飼っていたが、その姿が見当たらないのだ。やがて男性は黒い犬が繋がれていた場所で引きちぎられた鎖と血だまりを見つけ、さらに何者かに腹部を食われて無残な姿で横たわる白い犬の死体を発見する。黒い犬の死体は離れた場所で埋められ、上からこんもりと饅頭状に土がかけられていた。羆が自らのエサと見做した食料を保存する、いわゆる「羆の土饅頭」であり、2頭の犬を殺して食べた犯人が羆であることは、明白であった。
以来、羅臼町では同一の羆によると見られる犬への襲撃が相次ぎ、翌19年7月には3頭が襲われて3頭とも死亡、21年6月にもやはり3頭が襲われて1頭が死亡した。
この羆は最初に目撃されたのが斜里町のルシャ地区だったことから、研究者の間で「ルシャ太郎」通称「RT」と呼ばれるようになる。8頭の犬を襲い、6頭を食い殺した羆をメディアが「犬喰いのRT」と名付けるのにそう時間はかからなかった。(全3回の3回目/#1から読む)
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神出鬼没の「RT」との初遭遇
町をあげての必死の対策も空しく「RT」は神出鬼没だった。犬が襲われた現場付近には二度と近寄らず、そうかと思うと殺した犬を近くの草ヤブまで引きずっていき、白昼、しかも長時間その場で喰い続けたと見られるケースも少なくなかった。
当然、羅臼のハンターである中川に「RT退治」のミッションが課せられたのかと思いきや、意外にも当初は縁がなかったという。
「3年前に3頭襲われたとき、ちょうどオレは札幌の病院で腰の手術を受けた直後だったんだ。退院する2日前に役場の職員とハンターが襲撃現場に行ったら、まだRTがいて、ブラフチャージ(威嚇攻撃)を受けて、転倒してケガしたと聞いた。いざ退院して、とりあえずオリ(箱ワナ)かけるかと思ったら、役場の職員に『中川さん、退院したばかりだから無理なさらないでください』と言われて、それもそうだな、と」
ところがその次の日、「RT」が出没し、「やっぱり、出てくれないか」と連絡が入ったという。