混乱する現場、医療従事者への差別、そして自分自身の感染……。新型コロナの最前線を経験した医療従事者が思いを綴った手記『看護師に「生活」は許されますか 東京のコロナ病床からの手記』(ele-king books)から新型コロナ流行初期を振り返る章の一部を抜粋・編集し、掲載する(前後編の後編/前編を読む)。
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何かの病気の患者さんが、病によってもたらされた痛みや苦しみの混乱と怒りを、医療従事者への攻撃の形で表出してしまう場面は、平時から少なからずあります。我々医療従事者の至らなさが患者さんに不快を与えてしまい、患者さんから苦言を呈される場合もありますが、たとえば挨拶をしただけで怒鳴られる等、明らかな理不尽も珍しくはありません。
不自由な身体で不自由な生活を強いられ、外出ひとつ自由にできない病院では、誰しも多かれ少なかれ、目の前で自由に動き回る医療従事者に苛立つ瞬間はあるものですから、私はそれまで、患者さんから病院の中で受ける罵倒や暴力の数々を、「病気なんだから、本人が1番辛いんだから仕方ない」と考えてきました。だからこそ、不動産屋でサービスの提供を拒否され、医療従事者への差別を直に受けた時に真っ先に浮かんだ言葉も、「みんな怖いんだから、仕方ない」でした。
差別を引き受けることはケアではないと頭では分かっていても、「差別をするな」と声高に発する行為は、「恐怖を持つな」と感情の抑圧を要求してしまうようで躊躇われました。
また一方では、直接看ている患者さんでもない他人の気持ちにまで寄り添わなきゃいけないなんて、そんなのはどんなプロ意識があったって不可能だと、泣きたいような気持ちも抱きました。
医療従事者のSNSに「人殺し」「政府の手先」
その頃、メディアやインターネットの中での医療従事者への扱いは、現実の世界よりもさらに混乱していました。当時、医療機関の混乱を防ぐため厚生労働省は「新型コロナウイルス感染症についての相談の目安」として、風邪の症状や37・5℃以上の発熱が4日以上続く方(ただし高齢者や重症リスクの高い基礎疾患保有者、妊婦はこの限りではない)を医療機関の受診対象としていましたが、発熱や風邪症状があってもすぐに病院にかかることができない事態は一般市民に容易く受け入れられるものではなかったようです。
テレビで「市民の不安に寄り添うため」と謳う医師が、検査体制が整っておらず、1日に実施できる回数に制限のあるPCR検査をひたすらに推奨し、行政への批判を続けていた影響もあるのでしょう、厚労省のガイドライン通りの受診を勧める医療従事者のSNSのアカウントには「人殺し」「政府の手先」といったコメントがたくさん並んでいました。