「私はなんて軽はずみなことを言ったのだろうか」
私自身、2020年1月頃、馴染みの居酒屋の店主から、「コロナってどうなの?あれやばいの?」と訊かれた際、「風邪だって人が死ぬことはあるし、そんなに怖がらなくても良いと思う」と話していました。そしてそのまま感染拡大により会えなくなり、半年以上が経過してから再会した店主は、YouTube でコロナについて勉強していると話し、「映里の言った通りだよ! コロナは風邪だ!」と私に言いました。
私はなんて軽はずみなことを言っていたのだろうか、と血の気の引く思いがしました。私にとっては、新興感染症に関する何ヶ月も前の話題なんて、古いデータの、覚えているとすら思っていなかった話でした。
医療の情報は更新され続けること、状況によって発信の仕方は変わること、昨日の是が今日の否になる場面も珍しくないこと。どれも当然だと思ってきた私の中に、自分の言葉が、訂正の機会もないままに知人の中で強化され続けたのは、医療従事者と市井の方々の認識のギャップを見通せなかった私の失態だと、強い焦りと恥辱感がもたらされました。
店主との久々の再会の時、私は既にCOVID-19の患者さんを受け持つようになっていました。「ごめん、その時は風邪って言ったけど、自分がコロナの患者さん看るようになって、お看取りすることもあって、あれは風邪じゃないって思うようになった。訂正したい。コロナは風邪じゃないし、気を付けて欲しい」
私がそう話すと、店主は「そうか……」と言って黙り込みました。そしてその翌月、珍しく電話をかけてきた彼は、「2つ持ってる店のひとつを畳むことにした。また話聞かせてくれ」と話しました。