「いくらなんでもスピードが速すぎると思わないか?」
苦虫を嚙み潰したようにそう話すのは、古くからジャニーズ事務所と仕事をしてきた芸能関係者だ。
10月31日、突如として発表された、ジャニーズ事務所副社長だった滝沢秀明の退任と事務所からの退所。同時に、9月26日付けでグループ会社「ジャニーズアイランド」の社長も退任し後任をV6の井ノ原快彦が務めていることも明らかになった。
SNSに溢れるジャニーズ事務所への不信の声
1995年にジャニーズのオーディションに合格し、以降「タッキー&翼」そしてソロアイドルとしての活動を続けていた滝沢。だが2019年7月9日に亡くなったジャニー喜多川からの期待を一身に背負い、4年前に芸能活動からは引退し後進の指導やプロデュース業へ方向転換していた。
続いて11月4日深夜には、人気5人組グループ「King&Prince」について衝撃の報告がジャニーズからなされた。来年の5月22日をもって、岸優太・平野紫耀・神宮寺勇太の3名が脱退。平野と神宮寺は同日にジャニーズを退所、岸は来秋に退所するというものだ。
「キンプリは、残るメンバー永瀬廉と髙橋海人のふたりで続けていくとのことですが、折しも夏からやっていた全国ツアーを終えて、11月9日には11枚目のシングルCDの発売を目前にしていたところ。多くのファンからは悲鳴があがり、ジャニーズ事務所への不信の声がSNSに溢れました」(芸能記者)
始まりは「ジャニーズ少年野球団」
冒頭の芸能関係者は、こう続ける。
「ジャニーさんが亡くなって3年数カ月。メリー(喜多川・ジャニーズ事務所名誉会長)さんが亡くなって1年数カ月しかたっていない。たしかに彼らがいなくなることで求心力は激減し、『ジャニーズ帝国』が崩壊するだろうことは予想していた。だが、もう少し、5年から10年は時間があるのではないかと思っていたから……」
帝国の崩壊。
始まりは、1960年代に東京・代々木の在日米軍宿舎・ワシントンハイツをベースに作られた少年野球チームだった。そのコーチを務めていたのが30代の若きジャニー喜多川氏。チームの名は「ジャニーズ少年野球団」――、ほどなくして設立されたのが芸能プロダクションとしての「ジャニーズ事務所」だ。
姉のメリー喜多川は、それまではバーを経営していたがジャニーズ事務所立ち上げのタイミングで事務方を手伝うようになった。