同じテイストを続ければ飽きられる。それでも、周囲は今見えている“売れ線”を望む。二番煎じは、枚数は微減しても確実に売上を計算できるからだ。しかし、その行動はアーティスト生命を縮めてしまう。売れ線は常に変わっていく。自分の過去を踏襲したり、他人の流行に乗ったりするのではなく、新たなサウンドを開拓しないと一線であり続けられない。
〈わかりきったもの出してくれたら安心だって言うけど、ずーっとそこから出なかったら、たぶん客は減っただろうね。もういいよって。お前、だって進歩ねえじゃん、と〉(2005年10月号 bridge)
視界の定まらない闇を切り裂き、1978年には「高額納税者公示制度」(長者番付)の歌手部門1位に輝いた。それでも、矢沢の探究心は全く衰えなかった。1984年の『E'』ではアンドリュー・ゴールドをプロデューサーに迎え、当時最先端のコンピューターによる打ち込みを取り入れた。1988年にはロンドンに赴いてジョージ・マクファーレンとともに、『共犯者』を制作した。2019年の『いつか、その日が来る日まで…』では、歌謡曲や演歌でヒットを飛ばしてきた作詞家のなかにし礼を初めて起用した。矢沢はアルバムを出すたびに新しい顔を見せ、ファンを自らの力で引っ張ってきた。
〈ファンが欲しいものを、1回目パッと出すと『永ちゃん、グレイト! グレイト! やっぱり永ちゃん分かってくれた』って言うよ。(中略)でも、3回、4回出したらね、『永ちゃん、それしかないの?』、こう来るんだよ〉(1998年11月号 bridge)
ゲストはMISIAにB’z、セットリスト変更…度肝を抜くサプライズ
“予想を裏切り、期待を裏切らない“という精神はコンサートでも貫かれている。
今年、デビュー50周年を迎えた矢沢は真夏にスタジアムツアー『MY WAY』を行ない、新国立競技場では8月27日にMISIA、28日にB’zを招いた。2日目のゲストは事前に発表されていなかったため、観客は度肝を抜かれた。公表していれば、チケットはさらに速く捌けていただろう。しかし、矢沢は他人の力を借りるのを良しとせず、ファンへのサプライズを優先させた。
この2日間、セットリストも入れ替えている。同じ並びでも、ファンは文句を言わないはずだ。それでも、矢沢は刷新する。連日訪れる熱心な観客の予想を超えるため、そして自分への新鮮さを保たせるためなのだろう。