塩田跡地はなぜ「水没ペンション村」になったのか
全国に残された塩田跡地は、様々な用途に再利用された。代表的な例としては、工業用地や農地、住宅地、グラウンド、レジャー施設、近年ではメガソーラーなどにも転用されている。こうした数ある跡地利用の一つとして、鹿忍塩田の跡地に「鹿忍グリーンファーム」は造られた。
詳しい建設時期は定かではないが、国土地理院の空中写真を遡ると、1975年時点で当地は更地であり、1979年に初めてバンガローやテニスコートと思われる構造物が確認できるため、同時期に造られたと分かる。
また、Google Mapの衛星写真も参考にすると、2004年から2007年にかけていくつかの建物が解体されており、遅くともこの頃までには廃墟化していたと考えられる。
年月を重ねて溜まっていった水
鹿忍塩田は、潮の満ち引きの力を利用して海水を内部に汲み入れる「入浜式塩田」であったため、海抜が満潮時よりも低くなっている。従って、盛り土をしない限り、雨水が捌けない土地となる。鹿忍塩田跡、及び鹿忍グリーンファームでは、溜まった雨水をポンプで汲み出し続けることで、長らく水没を防いでいた。
しかし廃墟となった後、あるときから排水が停止し、徐々に冠水していく。前述の国土地理院とGoogle Mapのアーカイブによれば、2007年時点では浸水はみられないものの、2011年には通路に水が溜まり始め、2014年には現在と同程度まで水没している。すなわち、施設閉鎖後、バンガローの解体作業も途中のまま、2010年前後に管理者がここを放棄し、同じ頃に排水も停止して、数年かけて全体が水没に至ったと推測される。
水没後、周辺では、異臭や虫の発生、水位上昇に伴う住宅への被害などが問題となり、近隣住民からの苦情が上がっている。市議会でも度々取り上げられているが、地権者が話し合いに応じないため、事態は進んでいない模様である。
かつて数百年に渡り、日本有数の塩の生産地として、国内の製塩業を支え続けた瀬戸内海沿岸、牛窓地域の塩田跡地。今に残る不思議な「水没ペンション村」の光景から、その歴史の一端を窺い知ることが出来る。
写真=Drone Japan
※空中撮影は各種法律を遵守して実施しています
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