「こいつは大羆だ」
サマッケヌプリから斜里岳の分水嶺まで、3日間追跡していた羆の足跡は、突如2頭分の足跡になった。
いままで追っていた足跡の上を踏みつけた新しい足跡――それは、1時間たったか、たたぬかの実に新しいもので、蹴散らした雪片が転がっているように見えるくらい、たったいまつけられたものであった。
この足跡の、大きいの、大きくないのといったら、いままでお目にかかったこともないくらいのデッカイものだった。輪カンジキを穿いて歩いたくらいの大きさである。
こいつは大羆だ――と、われわれはおおいに緊張した。足跡の大きさは、実に大きい。われわれは即座に相談して、これまで追ってきた小さい羆を、大きい羆にのりかえることにした。小を大に変えたわけだ。この大ものを一つやっつけようということになった。
それからは注意深く、咳一つにも気をつけるのはもちろん、スキーの音もなるべくたてないように、全身これ耳といった慎重さで追跡していった。
北見の斜里川上流と、根室の忠類川との分水嶺を辿って、斜里岳に向っていたのが、足跡は急に忠類川の渓谷へ真一文字に直滑降していった。ほとんど直立のような急斜面を、一気に尻滑りでぶっとんでいったのである。われわれのスキーでは、とても滑降できない。悪場のうえにブッシュが多く、スラロームもできないのだ。
そこでスキーを脱いで腰までもぐる深い雪をこいでいたが、エイッ面倒だ……とばかり、シンコ(エゾマツ)の枝を尻に敷き、馬乗りの格好で、羆が尻滑りで滑った跡を滑り下りた。
渓谷へ下ってみると、足跡は真向うの稜線へ、これも直立の壁を登っているではないか……。しかも、人間が選んで攀(よ)じ登るのと同様の巧みさで、ジグザグに乗りきっている。
このようにして、渓谷を3本越えた。この渓谷を越える逃げ方は、実に意地が悪いという言葉に尽きる。それは、一番深い渓谷へ下り、その次に一番高い峰に登っていき、また一番深い谷底へ下り、さらに次は前より高い稜線を目指して登っていく。
このようにして、前よりはけっして低い稜線とか峰へは登らない。前より高いところを目あてに登っていくのである。
われわれは息せききって下っては、喘ぎ喘ぎ攀じ登り、また下っては登り、へとへとに疲れてしまった。こいつはとても姿を見せそうもないし、見ることもできないような気がしてくる。
こうして、やっと4本目の稜線を越え、その次の谷を見下して、われわれは思わずアーッと溜め息をついた。一心に追ってきた羆の足跡は、どのくらい深いか見当もつかない渓谷へと下っていたのだ。