2022年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。クマ部門の第4位は、こちら!(初公開日 2022年11月20日)。
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「腹破らんでくれ! 腹破らんでくれ!」「のどを食って、のどを食って殺してくれろ!」――1915年12月に起きた「三毛別ヒグマ事件」。国内最多の死者数を出したヒグマ事件は、いかにして起きたのか?
明治、大正、昭和、平成、令和に起きたクマにまつわる事件を網羅した新刊『日本クマ事件簿』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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国内最多の死傷者「三毛別ヒグマ事件」
クマによる人身事故史上最多の犠牲者が出た「三毛別ヒグマ事件」。北海道苫前村に暮らす2軒の開拓農家が襲われ、胎児1人を含む7人が殺害、そのほか3人が重軽症を負った。悲惨極まる未曾有の惨事である。
三大悲劇の一つとされる本事件は、当時『小樽新聞』や『北海タイムス』で多く報道されていた。
その後も1947(昭和22)年に発刊された『熊に斃れた人々 痛ましき開拓の犠牲』(犬飼哲夫/1947[昭和22]年)、事件の生存者などから聴取した内容を記述した『苫前ヒグマ事件』(木村盛武/1980[昭和55]年)、さらに『慟哭の谷 戦慄のドキュメント 苫前三毛別の人食い羆』(木村盛武/1994[平成6]年)、『ヒグマ そこが知りたい 理解と予防のための10章(木村盛武/2001[平成]年)など、100年以上昔の事件にも関わらず、長きにわたってこの事件についての書籍がいくつも出版されている。
最近では『ヒグマ大全』門崎允昭/2020[令和2]年)等にも詳細な情報が記されており、話題が尽きることはない。
原野の村にヒグマが侵入
北海道苫前村(現・苫前町)は道北の日本海沿岸部に位置し、大正時代中頃まで、市街地と宅地、その周辺の農地を除き、ほぼ全域にヒグマが棲息していた。
事件が発生した三毛別の六線沢(現・苫前町三渓)は、苫前村の中でも市街地から遠く外れた山深い場所、海岸線から直線距離で10㎞ほど離れた山中の一角である。中央部にルペシュペナイ川が貫流し、日本海へと注ぎ込むまでいくつもの支流を集めていく。三毛別はアイヌ語で「サンケ・ペツ」、「川下へ流し出す川」の意。
そんな原野だった当時の三毛別は、野生動物、ことにヒグマにとっては絶好の棲息圏であった。史上最悪と呼ばれる本事件は、12月9日午前10~11時の間(新聞報道では、午後7時頃)に第一の惨事が発生する。