高野山のふもとにある緑豊かな山間に窯を構える、陶芸家夫婦の盛岡成好さんと由利子さん。成好さんがその手の一部を病で失ったのは2年前のこと。劇症を鎮めながら、土と炎と向き合う十日十夜の様子を、『週刊文春WOMAN2023創刊4周年記念号』より一部編集の上、紹介する。
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弘法大師空海が開いた祈りの聖地高野山。その山腹にとりつき、脇道に逸れて急な坂を上ると、木造2階建ての大きな家がどっしりと鎮座している。
家の前には、空海を高野山へ導いたという白い犬と黒い犬の伝説さながら、急な来客に吠える2匹の犬。
それを横目に奥へ進むと、うずたかく積まれた薪と、10メートルはゆうに超える巨大な穴窯が現れる。
難病を発症して指が壊死。それでもろくろを回し続けた
1年に1度の窯焚きが行われていたこの日。窯は穴という穴から火が勢いよく噴き出し、上昇気流に押し上げられたトタン屋根が、ガタガタと音を立てていた。
10月1日から昼夜交代で薪をくべ続け、すでに7日目。
「今年が最後かもしれない、と窯焚きのたびに思います」
揺れる炎を見つめて呟いたのは、窯の主である森岡成好さん、74歳。
通称シゲさん。力強く骨太な焼き締めで知られる陶芸家だ。ニューヨーク近代美術館(MoMA)に作品が収蔵されるなど、世界的な評価を得る南蛮焼き締めの巨頭だが、2011年に全身性強皮症という難病を発症。免疫システムが異常をおこし、自己攻撃する病で、右人差し指の第2関節から先を失った。左手も人差し指と中指が少しずつ壊疽し、第1関節から先の骨が露出している状態。現在は、主に7本の指で作陶している。
シゲさんが病に倒れたのは2011年の12月のこと。突然手のひらが真っ白になり、たちまち紫に変色した。チェーンソーの影響かと思ったのもつかの間、全身の痛みでのたうちまわるように。原因がわからず、病院を転々とした。ようやく膠原病の一種である全身性強皮症という診断名がついた頃には、すっかり春になっていた。
「右の指はあっという間」
指の壊死が始まったのは、2020年。特効薬もなく、小さな傷で壊疽が進行する恐れがあるため、露出した骨を切断することすら叶わなかった。引退宣言。そんな考えがユリさんの脳裏をよぎった。
しかしシゲさんは、肉も骨も飛び出した状態で、ろくろを回し続けた。泥が傷口に入り込まないよう、ゴム手袋をつけて。当然、土の感触はない。
「面白いのはね、慎重に作るしかない分、ろくろが丁寧で良くなった。若い頃のように勢いだけじゃなく、ゆっくり形を考えながら作っている。『シゲさん、腕上げたよね』って」
この夏も、酔って転んだ傷がきっかけで、あわや失明の危機に陥った。右瞼が腫れ、翌朝には急にろれつが回らなくなっていたという。慌てて病院に駆け込むも、異常は見つからなかった。
「だけど帰り道、車の窓からもう吐いて吐いてね。もう1度病院に戻ったり」