1998年の甲子園で春夏連覇し「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔さん。そして2006年夏の甲子園決勝で駒大苫小牧と熱戦を繰り広げ、「ハンカチ王子」として一世を風靡した斎藤佑樹さん。文藝春秋創立100周年を記念して、2022年11月、2人がYouTubeで対談をしました。

 多くの人を感動させる甲子園の魅力や、世間の注目を浴びた高校時代の光と影、プロ時代に悩まされたケガについて、2人はどのように考えていたのでしょうか。侍ジャパンの注目選手や今後の活動まで、松坂さんと斎藤さんの対談の一部を紹介します。(全2回の2回目。前編を読む)

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自分もずっとケガに苦しんできたから他人事じゃなかった

――お二人は現役時代に交流がほとんどなかったにも拘わらず、松坂さんは斎藤さんを度々気にされていましたよね。

松坂 投げ方を見ていると、調子が悪いんだろうな、って。他の人は気が付かなくても僕は分かった。肩や肘を庇っている投げ方だと。自分もずっとケガに苦しんできたから他人事じゃなかった。

斎藤 そうなんですか! めっちゃ嬉しいです。僕は、夏の甲子園で優勝したときにガッツポーズする大輔さんに憧れ、小4の時に甲子園を本気で目指そうと思ったんです。

松坂大輔さん ©文藝春秋

松坂 甲子園優勝投手はたくさんいるけど、僕と斎藤君はちょっと特殊だったじゃない。斎藤君が優勝したとき僕はプロ8年目だったけど、大変な思いをしているんだろうな、と心配していました。その後、早稲田大学に進学しても常に注目され、ほっといてやって欲しいと思っていましたね。

 何か無理やり重いものを背負わされている感じがし、楽しく野球がやれているんだろうかと気がかりだった。

クローズアップされるのは野球ではなく「ハンカチを使った人」

斎藤 甲子園で優勝すれば大輔さんのように野球界の王道を歩めると思っていたんです。でも、クローズアップされるのは野球ではなく「ハンカチを使った人」。そこに葛藤はありましたね、もっと試合を見てよ、って。

斎藤佑樹さん ©文藝春秋

松坂 分かる。斎藤君には必ずハンカチというフレーズがついていた。選手としては嫌だろうな、と僕も思っていた。

斎藤 でも引退した今は、「ハンカチ」の恩恵を受けていると感じることも(笑)。

松坂 僕も甲子園で注目され、まだ思春期だったから他人の視線が嫌だと思ったこともあるけど、この現象は自分たちが作り上げた有難いものなんだと頭を切り替えた。ただ、通学の電車の中で声をかけられるのは苦痛だった。片道1時間半の道のりをタクシーで行くわけにはいかないし(笑)。

――初めて甲子園のマウンドに立った時の感覚を覚えていますか。

松坂 もちろん! 高1の時に補欠で連れて行ってもらい、練習時間に立たせてもらった。球場が広いことにびっくりし、自分のサイズが縮まった感じがした。球場負けしたのかボールのコントロールが定まらず、すぐに監督に「替われ!」と。恥ずかしい思い出。

斎藤 僕は高3の春の選抜で初マウンドを踏んだのですが、大輔さんが活躍した場所についに立てた、と嬉しかったですねえ。甲子園に対する思い入れが強かったせいか、異国の地を踏んだような気分。

 でも、開会式から横浜高校には引け目を感じていましたね。

松坂 どうして?