「横浜ってこんなおしゃれな野球をするんだ」とびっくりして
斎藤 僕ら早稲田実業(早実)は10年ぶりの甲子園だったので、開会式から緊張しっぱなしだったけど、横浜高校の選手はポケットからインスタントカメラや携帯を取り出し、写真を撮っていた。なんか、「僕たちはここに毎年来ているし」みたいな来慣れ感をムンムン発露していましたね。幅を利かせているというか。
松坂 ハハハ。そうなの? 確か、選抜では準々決勝で横浜と早実が当たり、横浜が勝ったんだよね。
斎藤 そう。大差で敗れましたけど、横浜ってこんなおしゃれな野球をするんだとびっくりしました。
松坂 おしゃれ!(笑)
斎藤 ホームランバッターとかいるわけじゃないのにそつない野球というか。すぐに盗塁するし、隙あらば三盗も狙ってくるし、信じられないような挟殺プレーも仕掛けてくる。高校生がこんなトリックプレーをやるの、とびっくりしました。
松坂 確かに僕も入学したばかりの頃、こんな野球があるの、こんな作戦があるのと驚いた記憶がある。先輩たちは細かい中継プレーとかサインプレーを普通にこなしていたし。
だから高卒でいきなりプロに入っても困ることは何にもなかった。むしろ、プロの練習って、こんなんでいいの?って。現に、ライオンズの初めてのキャンプで「練習はこれだけですか」とミーティングで言いましたから。
プロに入って初めて、高校時代にどれだけ質の高い練習をしてきたかが分かった。
――でも松坂さんは高校時代「サボりのマツ」と言われていました。
松坂 それは僕だけ練習量が多かったからですよ。トイレに隠れていたこともあった(笑)。
すぐにプロで通用するよう指導してくれていた部長
横浜高校は2巨頭体制。渡辺(元智)監督は選手に徹底して考えさせることによって精神を鍛え、小倉(清一郎)部長は高い技術を指導。小倉部長は、僕がすぐにプロで通用するよう心して指導してくれたんだと思う。
でもある時「なぜ僕だけ練習量が多いんですか」と文句を言ったら「お前が好きだからだよ」って。僕は反抗して、むっとしましたけど(笑)。そんな指導者たちだから、やらされている感は全くなかった。むしろ、管理野球とは無縁な練習法でしたね。
斎藤 僕は野球の練習がきついと思ったことはなかったけど、勉強が大変でした。野球部だからと言って特待はなく、毎年10人から15人が留年する。1年生の時は野球と勉強の両立の仕方が分からず、赤点を取っていました。だから朝練はやらず、早朝に登校しては先生の補講を受け、授業が終わってから練習。高校時代は本当に勉強が大変だった。
松坂 横浜は早実に比べたらレベルは低いけど、渡辺監督も赤点を取ったら練習させないという考え。だから苦手な科目はテスト前に出題範囲を先生に聞きに行っていた(笑)。