2022年11月、フランスの歴史人口学者・家族人類学者、エマニュエル・トッド氏が、『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(上 アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか/下 民主主義の野蛮な起源)の刊行に合わせて来日した。本書は、ホモ・サピエンスの誕生からトランプ登場までの全人類史を「家族」という視点から描く、トッド氏の集大成と言える作品だ。

 人類史における女性の地位の変遷について、トッド氏に聞いたインタビューの一部を、『週刊文春WOMAN2023創刊4周年記念号』から紹介する。

 

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女性の地位の低下が「社会の発展の阻害要因」となった

――家族外の「人間集団」の規模や比重が大きくなるなかで、女性の地位はどうなったのでしょうか。

 まず原初の核家族でも、完全な平等ではなく男性がやや優位だったのは、性別分業があり、女性が採集したものは家族内に留め置かれたのに対し、男性が狩猟で得た獲物は、地域の集団のなかで分配されたからです。

 ここから、総じて男性は(家族外の)集団への帰属意識が強く、女性はより家庭的で個人主義的だという違いが生まれてきます。つまり、社会の分業化に対応したのは主に男性で、女性は、「家族」のうちに閉じ込められ、家事や育児や教育に専念するようになったのです。

 話をまとめると、二つの人類史の“逆説”が確認できます。

 第一に、西洋人は、「最も進んでいる」と思い込んできたわけですが、西洋の科学技術的・経済的近代は、むしろ太古的な家族システムに符合していることです。「西洋人」とは、その習俗においては、人類の古い共通基盤、原初の時代に地球の各地に暮らしていた狩猟採集民たちからさほど遠ざかっていない「未開人」なのです。

 第二に興味深いのは、かつて文明の発祥地だったユーラシアの中心部ほど、ある時点で歴史の発展が止まってしまったことです。

 ここで重要なファクターは「女性の地位」です。当初は「文明化の指標」だった「女性の地位の低下」が、人類史のある時点から、「社会の発展の阻害要因」となったわけです。

 

 「個人としての女性」の自由が制限されるところでは、実は「個人としての男性」の自由も制限されます。夫婦や個人を父系の親族関係の中に閉じ込める共同体家族のような家族形態では、男性も、囚人のような存在、個人としての自立性を失った“子供”のような存在になってしまうのです。