娘はSOSのサインを出し続けていた
光輝が退院し、家族4人で過ごす時間が戻って来た。夏菜子の追い求めていた幸せな家庭は営まれつづける。だが、晃の美香に対する性暴力は止まっていなかった。病弱な息子と一緒に1階で寝起きする夏菜子の目を盗み、2階の子供部屋と寝室で晃の凶行は続いていた。
「美香は中学に上がった2016年頃から学校を休みがちになりました。一日中自分の部屋にこもったまま出てこようとしないんです。どうして学校に行かないのか聞いても、なにも答えませんでした。こんな幸せな家庭で育っているこの子がなぜ不登校になってしまったのか。何も分かっていなかった私は、怒りや混乱で声を荒げて美香を叱りつけることがありました」
やがて美香はいっさい登校しなくなる。
「美香の部屋が日に日にすさんでいくんです。足の踏み場もないほどに荷物が散乱して、まるでドキュメンタリー番組で見るような汚部屋になっていました。いま思えばですが、あの散らかし方は美香の自己防衛だったのかなとも思うんです。夫はもともと潔癖症なところがあったので、子供部屋に入ってくる気をなくすよう、美香が考えてやったんじゃないかって……」
だが、当時の夏菜子がそんなことを想像できるはずもない。我が子がダメになっていくのは自分のしつけが悪かったと思い込み、幸せな家族の形を立て直そうと、また美香に怒声を浴びせる日々が続いた。
部屋を散らかすという美香の抵抗は、母親の理解は得られなかったが奏功もしていた。汚部屋を嫌った晃が子供部屋に忍び込むことがなくなったのである。美香に手を出すのは決まって自分の寝室になった。そうなると、自然、凶行の回数は少なくなる。
「どこにも居場所はないし、死ぬしかなかった」
自分で自分の身を守れることを美香は学ぶ。義務教育の期間中は消極的な抵抗しかできなかったが、高校生になればアルバイトができる。金を貯めて、家を出よう。そう決めた。期するものが見定まった美香は、2019年、高校生になると同時に引きこもりを脱し、自宅の近所のスーパーマーケットでアルバイトを始めた。
それでも、晃は美香との性交を止めなかった。高校卒業まで待てないと考えた美香は、家を飛び出した。身を寄せたのは、晃の実家だった。実の息子が孫におぞましい行いをしていることなど知る由もない祖父母は、美香を快く受け入れた。
逃げ出した祖父母の家で美香は悩み続けた。義父の手から逃れるためにできることはなにか。卒業までの時間、今までどおり我慢を続けるか。それはもはや、美香にとって受け入れがたい考えだった。ではどうする。
「娘は、死ぬしかない、と考えるまでに追い詰められていました。近所の山から身を投げようとしたところ、たまたま近くに車を停めていた男性がそれを見つけ、あわてて美香の腕を掴んでくださったんです。あの日はひどい雨でした。連絡をいただいた私はすぐに現場に行って、美香を抱きしめました」
後に美香はこう述懐している。
「当時のお母さんに、私がどういう目に遭っているかを話してもきっと信じてもらえないと思っていました。あの男は狂ってました。どこにも居場所はないし、死ぬしかなかった。私が誰にも知られないところで死ねば、お母さんや光輝、おじいちゃんやおばあちゃん達は皆きっと幸せでいられる。誰にも迷惑のかからない場所で死のうと強く思ってました」