「瓦解するに違いない」
翌日以降は、前原誠司率いる民進党の議員たちが、希望の党に合流する動きが加速。安倍の存在感は益々薄れ、世間の注目は小池一人に集まっていった。だが、安倍が気にする素振りはない。28日、衆院解散当日にも関わらず、日中国交正常化45周年の祝賀パーティーに出席している。それは、選挙での勝利を確信する安倍の自信の裏返しでもあった。
事態が急変したのは、翌29日。安倍が予言した通りの展開を見せたのだ。
「排除いたします」
記者会見の場で小池はこう明言した。記者から「民進党の前原氏が『(希望の党に)公認申請すれば、排除されない』と発言した」と問われての回答だった。さらに小池は公認の条件として安全保障政策をはじめとする「政策協定書」への署名を求めている。それは事実上、民進党内のリベラル勢に“踏み絵”を強いることを意味した。
小池の発言に国民は猛反発し、それまでの勢いが嘘のように小池新党は急激に失速していく。10月22日の投開票日、蓋を開けてみれば、結果は自民党の圧勝だった。与党で3分の2を超える313議席を獲得したのだ。
小池の自爆に救われたように思えたが、後日、安倍に当時の心境を尋ねると、こう明かした。
「小池さんの政治家としての信条が『保守』である点がポイントだ。もし希望の党に駆け込んだ民進党の議員が一部だけに留まっていたら、我が党の脅威にもなっただろう。しかし、多数が合流するとなれば話は別だ。小池さんは一人一人に保守かリベラルか、自分の安保政策に賛成か反対かで線引きをして振り分けざるを得なくなる。結局、党のガバナンスが効かなくなり、瓦解するに違いないと思っていた」
第一次安倍政権時代に、小池は国家安全保障問題担当の補佐官を担い、後には女性初の防衛大臣にも就任している。その際に、安倍は小池の人並外れた勝負強さと、野望を感じとっていた。かつての安倍であれば、小池の勢いに押されるばかりで、これほど肝を据えて選挙に立ち向かえなかったはずだ。「透徹した政局観」と「冷静沈着な人事」、この二つの要素もまた、第一次政権退陣後の雌伏の5年で、安倍が培ったものだった。