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空前の「辞任ドミノ」

 第一次政権が崩壊した大きな理由の一つに人事の失敗がある。安倍は長老議員らの要望も踏まえながら組閣したものの、当初から「お友達内閣」と揶揄された。さらに特筆すべきは、不祥事を起こした閣僚が立て続けに辞任する空前の「辞任ドミノ」に見舞われたことだ。

 まず政権発足わずか3か月後の2006年12月に、政府税制調査会会長の本間正明が官舎問題、佐田玄一郎行政改革担当相が事務所費問題で相次いで辞任する。

岩田明子氏

 翌年1月には柳沢伯夫厚労相が、女性を「産む機械」に喩え、批判の嵐が巻き起こる。安倍は電話でこう語っていた。

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「柳沢さんのことは一度庇った以上は、守るしかない。たしかに『子供を産む機械』というのは人権意識に疑問符がつく発言だが、本人はすぐに謝罪している。喩え話の中で咄嗟に使ってしまった言葉であって、悪質なものではない。それに柳沢さんは奥さんをリスペクトしていて、女性を蔑視しているとも思えない。本人がひたすら説明して謝り、私は厳しく言い続けるしかないんだ」

 柳沢の失言は支持率低下の一因にもなったが、それでも安倍は庇い続けた。任命責任者としての覚悟とも取れるが、政権へのダメージを食い止めるには、辞めさせる判断もあったはずだ。この頃の安倍は人事において情に流されやすく、見通しが甘かった面は否めない。

 続く3月には、松岡利勝農水相の事務所費問題に加えて光熱水費問題も発覚し、再び批判が噴出。それでも安倍は私に「守るしかないね。野党にも事務所費の問題を抱える人はいるのだから、攻めきれないはずだ」となおも庇おうとしていた。

 だが、メディアや野党の追及が過熱する中、5月に松岡は自殺を遂げてしまう。通夜の夜、悲しみに暮れながら、安倍はこう語っていた。

「WTOでは松岡さんが大変な仕事をしてくれたんだ。あの人が決断しなければできなかった。マスコミはそういうことを一切報じない!

 警察に保管されている遺書には私宛の文章もあって、『身をもって安倍総理に尽くします』『安倍総理万歳!』と書かれていたそうだ。可哀想に。純粋な人だった……」

 さらに辞任ドミノは続く。7月には、広島、長崎への原爆投下について「しょうがない」と発言した久間章生防衛相、そして赤城徳彦農水相にも事務所費問題が発覚し、のちに2人は辞任に追い込まれる。

 安倍は任命責任を激しく問われるが、「(赤城に)急いで対応させれば済む話だ」などと、当初はまだ甘く構えていた。そして、そのまま雪崩れ込んだ7月末の参院選で歴史的な大惨敗を喫してしまう。

 参院選前は私への電話で「マスコミは『退陣』などと馬鹿げたことを書いているが、信じられない。絶対にやめませんから!」と気を吐いていた安倍だが、9月には自らの潰瘍性大腸炎による体調不安も抱え、すでに限界を迎えていた。

ジャーナリスト・岩田明子氏による「解散と人事『決断の瞬間』」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年1月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

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解散と人事「決断の瞬間」