──そのあとも特番をやるという計画は一切なかったのですか?
「川口さんは世間に対しては『我々は本当の冒険をやってる』っていう立場で亡くなったわけですよ。だから、そのあとにネタばらしをやっちゃうと、川口さんのことを茶化すことになってしまいかねない。いまだにそうですよ。あれから30年近く経ったけど番組の内容をいろいろ話してしまって、結果的に川口さんがインチキだみたいに思われるのは、僕らはすごく……」
このときわかった。小山が最初に「みんなはどこまで喋ってるの?」とこちらに聞いた意味が。どこか重みのある響きだった意味が。
「川口さんはあのまま(ネタばらしのないまま)亡くなられたからね。それで番組は終わっちゃったから、みんな喋っていいかわからないんじゃない?」
確かにそうだった。いままで私に話をしてくれた元隊員たちは、青春の思い出のように明るく楽しく話してくれた方が多かった。もう時効だろうという方もいた。しかしそれらの笑顔の陰で「どこまで話していいんだろう」という逡巡も、時に垣間見えた。過去の自分と探り合いをしてるふうな瞬間を感じたのも事実だった。
だからこそ私は、川口浩探検隊は歴史的に過小評価されてないか、いまこそ再検証したいのです、という気持ちを彼らにぶつけたのである。その意気込みに納得してもらいすべてを話してもらったのである。今回の小山も同じ説明をしたら理解してくれた。
川口さんは本当の探検家になりたかった
あえて言うが、小山のような立場は特殊ではないはずだ。“世の中に見えている自分の仕事”の内実をどこまで話していいのかという葛藤。それは政治家だろうと鮮魚店だろうと会社員だろうと、どんな仕事にも“世の中には見せていない部分”はあるだろう。
いわんや、ヤラセと言われる宿命を持った探検隊なら。
──川口隊長はスタッフにはどう見えていたのですか。
「川口さんは役者だからねぇ。あくまで演者ですよ。でも、グループのまとめ役だったことは間違いない。最年長じゃないですか。これどうする? みたいな部分では年長者のリーダーとして動いたり とかね。番組の内容に関してはディレクターがいて、作家がいて、そちらが尊重されるんだけれども、チームをまとめるみたいなところは川口さんでした」
サバイバルの技術に詳しかったのは川口さんという証言もこれまでにあった。
「川口さんは本当の探検家になりたかったんですよ。そういう夢があった。こういう番組をやっていたら、世間からいろいろ言われるけども、場所にはちゃんと行ってたわけだから。川口さんは、いつかは本当の探検をしたいって言われてたんです」
──それは常々言葉にしておっしゃってたんですか?
「ああ、言ってましたねぇ。いつか南極に行こうみたいな」
──それはどういう意味なんでしょう。世の中を見返してやりたいという?
「いや、そういう気持ちよりも、純粋に本当にすごいところにちゃんと行きたいって。言ってたねぇ」
いつかはガチをやりたいと願っていた隊長の復帰回として、ネタばらし特番が考えられていたのだ。
もし台本の存在を世の中に告白していたら…
──特番の許可は川口さんからはいただいていたんですか?
「はい。だから、あの頃に川口プロを作ったんです。川口さんは探検隊はずっとやるつもりでいたから、川口プロを作って自分のところで制作をするはずだったんです。プロデューサーになろうという意味ではなくて、ライフワークとしてね」
──もし探検隊が放送しているときに、台本の存在を世の中に告白してたら、どうなっていたと思いますか?