かつて、水曜夜7時30分からの90分間、子どもたちをテレビの前に釘付けにした「川口浩探検シリーズ」(1978~1985年)。未知との出会いを巡る男たちの冒険は、「ヤラセ」と揶揄されることもあったが、そこに「真実」はあったのであろうか。

 ここでは、時事芸人のプチ鹿島さんが「川口浩探検シリーズ」の裏側に迫った『ヤラセと情熱 水曜スペシャル『川口浩探検隊』の真実』(双葉社)より一部を抜粋。番組の黎明期から関わり、隊員として出演もしていた小山均が語る「真実」とは——。(全2回の2回目/前編を読む

『川口浩探検隊』シリーズで隊長を務めた、俳優・川口浩さん ©AFLO

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「みんなはどこまで喋ってるの?」

 まずこれまで取材に応じてくれた元隊員の名前をあげながら小山に取材意図を説明した。世の中からは時として半笑いにされていた川口浩探検隊かもしれないが、そこにエネルギーがあったことは確かではなかったか。そして視聴者のテレビを楽しむメタ目線を生んだのは、この番組の功績が大きいのではないか、と。

 すると小山は我々にこう尋ねた。「みんなはどこまで喋ってるの?」

 これまで語ってくれた元隊員たちとは異なる言葉の響きにゾクッとした。

「探検隊についてはね、これまでも何度か書籍化しようという動きがあったんですよ」いきなり初耳の話である。いつ頃の話だろうか。

「番組が終わってからすぐ。そのあとも何回か話があったんですよ。探検隊のDVDシリーズ(2005年)が出たあとにも気運があったけど、事件があってヤバいとなったんだよなぁ」

 小山が語る事件とは「テレ朝、1億3000万所得隠し…番組制作を架空発注」(読売新聞・2006年9月28日)のことだ。この事件での“チーフ・プロデューサー”は、『川口浩探検隊シリーズ』のプロデューサーでもあった、加藤秀之氏である。

「そうそう、加藤事件もそうだし、ほかでもヤラセがあってね。世の中がちょっとピリピリして」 ここで言う“ヤラセ”とは2007年1月に放送された『発掘!  あるある大事典』での“納豆ダイエット・データねつ造”である。この件で社会的にも大きな批判を浴びて、番組は打ち切りになっている。

 小山の言葉を整理するなら、探検隊の書籍化の企画は番組終了直後(1986年)から何回かあり、最後に企画があったのは2006年後半から2007年初頭だったのだろう。

「探検隊に関しては別に墓場まで持っていくみたいな重い物をみんな背負ってるわけじゃなくてね。本を出そうかってなったのも『もう全部バラそうよ』っていう意図だったんですよ」

 そんな計画が進んでいたとは。

「そもそもテレビで特番をやろうということになってましたからね。探検隊シリーズが終了したあとに全部バラす特番をね」

 え……?

 探検隊が自分たちで“全部バラす特番”を考えていた?  ネタばらしを!? 驚きのあまり私は声をあげてしまった。こんな特番が放送されたら誰だって仰天する。その経緯を詳しく知りたい。