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3歳で「ゆりかご」に預けられた男性(19)が、生い立ちを公表した理由「好奇の目に晒されないよう、ずっと家族の秘密にしていた」

宮津航一さんインタビュー#1

genre : ライフ, 社会

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 両親は私を迎え入れる前に5人の子どもを出産して育てていたので、5人の兄ができました。

 今も宮津家には6人の里子が暮らしているので、僕と両親と祖母を合わせて10人で生活してます。

児童相談所に迎えに来た里親との対面

――宮津家のご両親と初めて会った時のことは覚えていますか。

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宮津 私がちょうど児童相談所内のプレイルームで遊んでいた時に、職員から紹介されたのを覚えています。しゃがんで、僕を抱っこしてくれました。

預けられてすぐの頃の航一さんと両親 写真=本人提供

――戸惑いはなかったでしょうか。

宮津 なかったですね。私自身、産みの親とは違うという認識はしていましたが、その前までの記憶はほとんどなかったので、すんなりと受け入れることができました。

 ただ、最初の頃は産みの両親のことは「お母さん、お父さん」、宮津家の両親のことは「お母ちゃん、お父ちゃん」と呼び方を変えていました。でも、家族のみんなが「お母さん、お父さん」と呼ぶので、徐々に「お母さん、お父さん」と呼ぶようになりましたね。

 父は物心ついた時から、「家族というのは血が繋がっているかどうかではない。最後まで味方でいるのが家族なんだ」といつも言ってくれていたので、その言葉のおかげで幼少期に悩まなかったんだと思います。

家の改修工事を行っている父・美光さんとそれを手伝う航一さん 写真=本人提供

父が脳梗塞で倒れ、正式に養子縁組を組むことに

――宮津さんの出自については、その後も一切わからないのでしょうか。

宮津 小学校低学年の時に私の産みの母の親族がわかったので、母親のことと僕の出生時の戸籍について知ることができました。その後、出生時の戸籍を本籍としたので、名前は変わってしまったのですが、学校側が配慮してくれて、高校2年生の時に出生時の名前から「航一」に改名するまで、通称名として「宮津航一」と名乗っていました。

Twitterより

 それから高校2年生の時に、父が脳梗塞で倒れてしまって。病室で母に「この先どうなるかわからないから航一と養子縁組を組む手続きをしよう」と言ったことがきっかけで宮津家と正式に養子縁組を組むことになりました。小さい時から高校卒業したら養子縁組をすることを両親と決めていたんです。幸い、父はすぐに回復したのですが、早めに結んでおこうということですぐに手続きをしました。それで名字も「宮津」になり、戸籍の名前も「宮津航一」となりました。