歌手生活30周年を目前に、4人の子育てに奔走しながらアーティスト活動を続けてきたhitomiさん(46)。雑誌「Fine」の読者モデルから歌手を目指し、小室哲哉氏プロデュースで1994年にデビュー。実は、代名詞ともいえる『LOVE 2000』は自らプロデュースした曲だった。「小室ファミリー」を離れるまでの経緯や、還暦に向けてどのようなセルフイメージを思い描いているのか、率直な思いを聞いた。(全2回の2回目/前編から続く)
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来年でデビュー30周年、9年ぶりの単独ライブ
――現在、ビルボードで9年ぶりの単独ライブ中なんですよね。ステージに立ってみていかがでしたか。
hitomiさん(以下、hitomi) 本当に久しぶりの単独ライブだったので大阪では感極まってしまって。自分が感動してどうすんだという感じですけど(笑)。子育て真っ最中ということもあってしばらく新曲を出していなかったので、お客さんが本当に来てくれるだろうかという不安もあったんです。でも、久しぶりにたくさんのファンの方と会えて本当に嬉しかったです。
――デビューは1994年ということで、来年で歌手生活30周年になるんですね。
hitomi 私も年をとったし、ファンの方も年齢を重ねたことを考えると、今回の会場(ビルボード)はご飯を食べながら、ゆったりライブを楽しめる。こういった会場でのライブが私たちの年齢ではいいのかなと思いました。
30周年ということで言うと、本当にたまたま30年経っちゃったという感じで、「節目」みたいな感覚はないんですよ。ずっと忙しいわけじゃなく、めちゃくちゃ暇なときもありましたし(笑)。
激動だった『LOVE 2000』『SAMURAI DRIVE』の頃
――4人のお子さんの子育てとアーティスト活動を両立されてきた30年だったかと思いますが、一番忙しかった時期はいつ頃ですか?
hitomi 20代半ばの、『LOVE 2000』『SAMURAI DRIVE』あたりですね。忙しくて成人式で着物が着られなかったので、30歳のときにリベンジして写真を撮りました。
――『LOVE 2000』といえば、2000年にシドニー五輪で金メダルを獲得したマラソン選手の高橋尚子さんがフェイバリットソングとして紹介してロングヒットになりました。高橋選手の話を聞いたときはどう思いましたか。
hitomi アスリートの方が自分の音楽を聴いてくれているとは夢にも思わなかったので、本当に驚きました。世界で戦う方の背中を押すような曲になっていたのかと思うと、音楽の力を改めて感じましたね。