「グワァー!」クマが襲いかかってきた
撃つのなら、このまま真横からではなく、もう少し角度を緩やかにしたい。せめて両目が見えるくらいまで新井自身の身体をやや「左斜め下」にずらしたかった。
「岩場を登ってくるときに、今立っている場所の左下に木の根が生えているのを見てたんだ。そこに左足をかければ、角度的に跳弾の恐れなく撃てるな、と」
銃を構えたまま、ソロリと左足を慎重に空中へと踏み出す。もし足を踏み外せば30mの岩場から落下することになる。ところが足がなかなか木にかからない。
「あれ、と思ってパッと足元見たんだ。そうしたら、ほんのあとちょっとだった。ヨシ、と木に足をかけて、いざ撃つぞと思ったら……」
クマは新井が目を切ったその一瞬を見逃さなかった。「グワァー!」と吠えながら、穴から飛び出して襲い掛かってきたのである。クマとの距離は1メートル50センチほどしかない。
「(右目で覗いていた)スコープの中、真っ黒さ。(クマとの距離が)近すぎてね。だけど左目で『真っ赤』なのが見えた」
それは、大きく口を開けたクマの口中の赤色であった。
「必死で銃身をクマの頭におっつけるようにして撃った。その弾が頭をかすって、脊髄に入ったのさ」
撃たれたクマは新井の銃の銃身にぶつかった後、斜面を転がるように下へと落ちかけた。その瞬間、「ダダダダダッ」と銃声が響いた。新井が怒りを露わにする。
「下にいた鳥撃ちの連中が落ちかけたクマに5発も打ち込んだんだ」
まだクマのすぐそばに新井がいるのだ。鳥撃ちの撃った弾が新井に当たってもおかしくない危険極まりない行為だった。だが新井が怒ったのは、それだけが理由ではない。
そのクマはメスで、お腹の中に子どもがいたという。
「時期的に考えて、恐らく出産に備えてその穴で本格的な冬眠の準備をしていたんだと思う。そこに鳥撃ちの連中が犬連れてガチャガチャやり始めたから、追い払ったんだろう。それっきり、鳥撃ちのその連中とは鉄砲撃ちをしたことはないね」
トラップ射撃を始めたきっかけ
狩猟をしている以上、きれいごとをいうつもりはない。だがすべての生物は親がいるから、子がいるし、兄弟もいる。獲物に対して敬意を持ち、できるだけ苦痛を与えずに生命を頂くのが「狩猟人の鉄則だ」と、新井は力を込める。
「親を獲られた子、子を獲られた親の気持ちがオレには分かる。オレも自分のせがれ、亡くしているからね。ある朝、起きてこなかったら、そのまま布団の中で冷たくなってた。それでガックリきて、『もういいや』って8年前にトラップ射撃始めたようなもんでね」
終始、朗々たるマシンガントークだった新井の口調が、ほんの少しだけ湿ったが、すぐにもとに戻った。
「だからよ、こいつらにもいつも言うんだ。命とるには綺麗な撃ち方しろよって。誰かが(獲物の)腹でも撃とうものなら、『どこ撃つんだ、てめえ!』って怒鳴ってたもんな?」
「今は信じられないくらい丸くなったけどね」と亡き息子の同級生だったというハンターの田部井が苦笑する。