1ページ目から読む
3/4ページ目

『ファイヤー!』は「ロックヒーローの成功譚」ではない

『ファイヤー!』の舞台は60年代末のアメリカ。純粋な少年アロンが、荒々しく魂を吐き出すかのようなロックの「叫び」に触れ、自分の想いを歌に乗せて表現することに目覚める──。

主人公のアロンは、感化院でギターを弾き激しく歌う男ファイヤー・ウルフに出会い、彼のギターを託される。©水野英子

 仲間とロックバンド「ファイヤー」を結成すると、アロンはたちまちカリスマ的な人気を得てスターダムへと上りつめていく。だが、この作品はロックヒーローの成功譚ではない。未読の方のためにネタバレは避けるが、それこそが本作の凄みでもある。

 マンガに限らず当時のドラマでは正義は勝ち、清く貧しく美しい者が成功してめでたしめでたし……となるのが定石だった時代、主人公になんともきびしい現実を突きつけたリアリティは圧巻だ。ハッピーエンドとはいえないがバッドエンドでもない深い感慨をもたらす読みごたえで、今も色褪せない瑞々しさを感じさせる。

ADVERTISEMENT

 ちなみに、この頃の少女マンガでは男性が主人公であるのも異例だった。しかもアロンは繊細な心を持つ美少年ではあるが、清らかな王子様キャラではない。極端な方向に暴走することもあれば、衝動的に恋にのめりこんでは女を乗り換えるダメ男な面もある(これも己に正直であるがゆえなのだが)。そして、当時としてはこれまた常識破りなベッドシーンもしっかり描かれているが、水野によれば「挑戦」ではなく「自然」であったようだ。

しばしば描かれるベッドシーンも、多くの読者に衝撃を与えた。©水野英子

 水野は本作を描くにあたり、欧米に取材旅行に赴いている。刺激的なロックを生み出す精神のありか、若者たちが築いた新しいシーンの核を成す「意識革命」の側面を理解するためだったという。こうして生まれた主人公の心情は、全編を通して生々しく狂おしい。心を解放するロックに震え、社会の矛盾に悩み、愛の喜びと苦しみに悶え──アロンはひたすら生きるうえでの真実を問い続ける。

『ファイヤー!』は時代の感受性を映し出した作品だ。一方で、どの時代にも通ずる表現者の葛藤を描いたことに本作の普遍性があるのだと思う。