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トキワ荘に住んだただひとりの女性漫画家・水野英子

『ファイヤー!』の論評に入る前に、水野の『ファイヤー!』以前のキャリアについても少し解説しておこう。水野英子がプロの第一歩を踏み出したのは1955年、15歳のときだ。大ファンである手塚治虫が講評を務める雑誌にせっせと投稿し、御大に見出される形でデビューを決めている。

 このときはカットと1コママンガの掲載だったが、翌年にはストーリー作品『赤っ毛小馬』を発表。初の長編連載となる『銀の花びら』(原作・緑川圭子)は、手塚治虫の担当編集者の肝入りでスタートした。

 この連載中に上京してトキワ荘に約7カ月暮らし、石ノ森章太郎、赤塚不二夫と「U・マイア」のペンネームで合作マンガを執筆したのは有名な話。豪華メンツの合作も伝説的なら、トキワ荘に住んだ女性漫画家は後にも先にも水野英子ただひとりなのだから。

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 1960年にはワーグナーのオペラ作品『ワルキューレ』を下敷きにした『星のたてごと』で、少女マンガの世界ではタブーとされていた本格的な恋愛を描く。続く『白いトロイカ』(1964~1965年)は、ロシア革命の時代を舞台とした少女マンガ初の歴史もの。『ブロードウェイの星』(1967~1968年)ではミュージカル女優を目指す

 少女を主役に据えつつ人種差別問題に触れる。いずれも女子読者がうっとりと見惚れる華麗な画面を展開するエンターテインメントでありながら、社会的なテーマを自然に盛りこんでみせる──その視座は先駆的だ。いやはや、他に類を見ない「史上初」の宝庫である。水野が「女手塚」の異名をとるのも納得。

 手塚ばりの作風の広さや芸術性の高さに加え、のちに続く漫画家たちに「こんなことを描いてもいいんだ」と伝えた功績は大きい。これが水野が「少女マンガを生んだ」と言われるゆえんであろう。また、女性向けの雑誌に連載した『ファイヤー!』が多くの男性読者を獲得したことも注目すべき点だ。