“道を拓いた”水野英子が描いたものは「少女マンガ」だったのか?
「少女マンガの道を拓いた」という枕詞で紹介されるものの、水野自身は「『少女マンガ』を描いたつもりはない」という趣旨の発言をしている。
『ファイヤー!』に限っていえばたしかに現代の視点で見ても「純・少女マンガ」にカテゴライズするには当たらない。いずれの作品にしても、少女時代に西部劇やターザン映画を好んだ水野のヒロインは活発で主体的で、物語はダイナミックだ。とはいえ輝く瞳や美しいファッション、胸が高鳴るロマンス要素は間違いなく「少女マンガ」そのものである。
個人的な解釈ではあるが、水野の言葉は「少女読者を対象にしていても、少女を主人公にしたものであっても『少女だけの社会』を描こうとは思っていなかった」という意味ではないだろうか。
水野英子は、絵的な意味でもストーリーの面でもマンガの可能性を押し広げた。もう少し深く考察してみると、水野がマンガに与えたもっとも大きな影響は物語に「テーマ性」を持ちこんだことかもしれない。
物語のために作った物語ではなく、描くべきテーマをキャンバス(=土壌)に「人間」の感情を、思考を深く描いた作家。感情から浮かび上がる社会を描いた作家ととらえるとしっくりくる。
近年、とみに社会的なテーマを巧みにフィクションに落としこんでいる少女マンガの秀作が多いと感じているのだが、これは登場人物の心情をていねいに描写することに長けた少女マンガの特性なのではないかと思う。現代の少女マンガには『ファイヤー!』のアロンのように──やはり「自分の心に正直に、自由に生きるには?」と問いながら社会に向き合っている登場人物たちがたくさんいる。
「私はこう考えているんだけど」と語りかけ、読者にも考えさせるのだ。
水野作品が古びない最大の理由はここにある。『ファイヤー!』は永遠に読み継がれるべきエバーグリーンである。それこそ本作の背景であるロック黄金期のレジェンドたち──ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンのアルバムと同じように、いつも店頭になくてはならない作品なのだ。
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「女手塚」とも言われた女性漫画家の旗手・水野英子が、60年代アメリカを舞台に、若者たちの赤裸々な想いや叫びを描き、人々に共感と衝撃を与えた名作『ファイヤー!』は1月27日発売です。