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 例えばもらい事故で首の骨を損傷し、首から下がまったく動かなくなってしまった知り合いがいる。その人は「怪我人を助けたい」という救命士の懸命な治療によって見事一命を取り留めたわけだが、結果的には自分を助けたその救命士のことを事故から約20年経った今でも恨んでいるという。

 彼女の主張は、こうだ。

「こんな状態で生かされるくらいなら、いっそ見殺しにして欲しかった」

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 救命士を責めることは、誰にもできないだろう。むしろ自分の役割を見事に全うした素晴らしい人物だと称えられてしかるべきだと思う。しかし一方で彼女の気持ちも、私にはよく分かるのだ。

「自分はこんなこと望んでなかった」

 助けられた側が思わずそう考えてしまうのは、そんなにおかしいことだろうか?

最後の大仕事

 他の安楽死希望者たちとのスケジュールなどを調整しつつ、スイス行きは翌年2020年の3月に決めた。

 最後に残った大仕事は、両親の説得だ。前述の通り同意をもらうことは必須ではないのだが、私には特殊な事情がある。ひとりでできることは限られているため、スイスまで付き添ってくれる人が必要だったのだ。しかし結果から言うと、この3月の予定には両親の説得が間に合わなかった。

 母親の説得は、かなり難しかった。思えばパスポートの取得や細かい書類の受け取りなど、準備の手伝いをお願いするたびに母親とは衝突を繰り返していた。

©AFLO

「あなたのパスポートを燃やす」

「ベッドに縛り付けてやりたい」

 動転した母親は度々ヒステリックになることがあったが、私は冷静に対処するように努めた。

「そうしてもいいけど、私たちの関係は決定的に崩れることになるよ」

「仮に説得されて死ぬのをやめたとして、私はその後の人生を親のために生きることになる。それは本当にママが望んでいること?」

 これを言ってしまえば、もう母は何も言い返せなかった。ほとんど脅迫みたいであるが、そうでもしないと場が収まらないことが多々あったのだ。ただ、あまり無理を言ってまで私の付き添いをさせたくはなかったため、私は母を諦めて父を説得する方向に切り替えた。

 着実に準備を進めていく私を見て本気度が伝わったのか、父親はある程度私の考えに理解を示してくれているように見えた。もちろん手放しで賛成はできないものの、最終的にはスイスへの付き添いも承諾してくれた。最悪の場合は人を雇うしかないかとも考えていたが、「赤の他人に娘を連れていかれるくらいなら、自分で最期を見届けたい」とのことだった。

 唯一ペットたちについては、心残りがあった。福岡の大学病院に戻ってきた後、家族はさらに犬が1匹と、猫がもう1匹増えていた。3人と3匹、家の中は本当ににぎやかで、治療に疲れ切った私や家族を癒してくれていた。

 元々、ペットを飼いたいと言い出したのは私だ。可愛いこの子たちを置いて、言い出しっぺの私が勝手に死んでもいいものだろうか。無責任だし、これに関しては飼い主失格だと言われても仕方がないことだと思う。幸い家族はみんな可愛がってくれているし、どうかみんなで一緒に幸せに生きていってくれればと思っている。

 徐々にすべての計画が固まってきた頃になると、母親の方も「あなたがそこまで本気なら、私のエゴでそれを止めることはできない」と言ってくれるようになった。しかしさすがに娘の死を目の当たりにすることはできないということだったので、最終的にスイスに行くのは私と父の2人だけということに決まった。