教養を身に付けなければ搾取される
マルクス経済学の教科書に書いてあるが、最初の原始共産制の下ではみんな平等だった。共同で狩りをして、木の実を採る。
それが分化していったのは、農耕が始まってから。何も考えていない人は、その年の生産物をすべて食べてしまう。一方で生産物を残している人、たとえば種もみを残して翌年の生産につなげる人が資本家になっていく。
その資本家の人たちは、翌年どうするか。食うや食わずの人たちを労働者として雇う。そして、その人たちが作ったお米や小麦をごっそり持っていってしまうわけだ。種もみまで食べてしまうからずっと労働者のままなのだ。
私が経済企画庁にいたときに労働者派遣法が成立した。そのときに製造業や建設業には絶対に派遣を認めては駄目だというのがコンセンサスだった。
戦後に口入稼業があった。東京・新大久保などの公園に日雇い労働者がたくさん集まり、夜明けとともにトラックがやってくる。荷台に労働者を乗せて工場や建設現場に連れていくわけだ。
都心にこだわると生活費が足りなくなる
1日働かせてまたトラックの荷台に乗せて、公園まで帰ってくるわけだが、日当の大部分はピンハネしてしまう。労働者の手に渡るのは2割、3割というひどい状態だった。それでも労働者はわずかなお金を握って酒屋へ行き、焼酎を買ってつまみを買って、飲んだくれて、また次の朝にトラックに乗り込む。
そんな事態は絶対に繰り返してはならないと、「製造業と建設業には派遣労働を認めないでおこう」となっていたわけだ。結局は製造業の派遣労働が解禁されて、同じことが起こってしまった。
2008年に秋葉原でトラックが交差点を横断中の歩行者に突っ込んだ事件があった。犯人は完成車の自動車工場で働いていたが、派遣切りにあってやけくそになってしまったのだ。そこまで極端ではなくても、今の都心にこだわっていると、生活費が足りなくなってしまって、夫婦でボロボロになるまで働いて、家事の時間がないからコンビニで高い物を買う。
私の事務所の近くに町中華の店がある。そこにお母さんが小さな子どもを連れてきて、晩御飯のおかずをテイクアウトする姿をよく見かける。そうまでして働かなければ、都心の家賃は高くて支払いができないのだと思う。それはどんな人生なんだろうと心配になる。