引退発表直前の坂口智隆からかかってきた1本の電話
2021年・2022年の日本シリーズは古巣対決となったが、大引としては、そこでも中嶋監督対高津監督という指揮官に注目して見ていた。
「ぶっちゃけオリックスが勝つと思いました。一緒にやっていた選手が多い分応援するのはヤクルトですが」
オリックスでもヤクルトでも戦友だった坂口智隆の引退には、特別な思いがあったという。
「一番、彼に思いを託していましたから。勝手にですよ。彼の活躍が自分の活力になってた時があったんです。若い頃……オリックス時代からそうでした」
坂口が引退を発表する直前、大引に電話があった。現役か引退かで彼も迷っていた。ボロボロになっても野球にしがみつき、現役を続けることは、彼なら出来ただろう。
「ただ、どこかの球団からオファーがあったとして、引っ越してまた新しいチームで一軍二軍行ったり来たりして、ベンチで見て、それでやってけるかな……」
内心を吐き出す坂口の言葉は、自身が抱いた思いと同じだった。
「めっちゃ分かるんですよ。自分もそうだったから。坂口が言ったとき、自分のことのようにフラッシュバックしたし。やって欲しいという気持ちもあったけど、でも坂口ならどっちでもかっこいいと思ったんですよ。どっちも正解だと。あれだけ我々の世代を引っ張ってきてくれた選手ですし、僕は坂口世代。彼の功績は僕にとって偉大です」
ヤクルト時代は多くの選手やスタッフに同級生がいて、仲が良かった。今年はその一人である森岡良介コーチが音頭をとって、久しぶりに集まることが出来た。
「人と違うことをしたい」大引が目指す先
現在は修士論文と格闘する毎日を送っている大引。テーマはやはり内野守備とコーチング学だ。
大学院修士課程を終えたあと、大学常駐のコーチとして収まることは考えていない。専任でないことで、勝つためだけではなく、色々なことを考えながら見られる。視野が広く感じられ、いい環境にいるという実感がある。
「実は博士課程も考えてます」
驚いたことに、修士課程の修了を前にして、さらに3年勉強することも考えているという。まだ決定してはいないが、確率的には「8割くらい」だという。
どこを目指すのか?と問われれば、明確な答えはない。しかし日体大のコーチング学の教授のもとで、さらに研究を深めたい。また、いつかアメリカに勉強に行きたいという考えもまだ持ち続けている。
「人と違うことをやりたいんです。やっていることが人と同じだとしても。アメリカに行くのもそうだし、博士課程もそう。人と違う経歴を歩んで、それが血となり肉となって将来発揮できる日が来る。時代の先に行きたいし、先を見据えたい」
一度はフルマラソンを走らなければ
質問を向ければ淀みなく答える。引退して言葉を使う機会が増えたのだろう。指導の話になると、ジェスチャーを交えて熱心に語ってくれた。
野球以外のことでいうと、「先日ハーフマラソンに応募しました」と教えてくれた。
「落選したんですけど。どこかで『日本人たるもの』ってずっと思ってて。日本人たるもの、一度はフルマラソンを走らなければと思ってます。50、60歳になる前に。それから、日本人たるもの、一度は富士山に登り切りたい。今は論文が忙しくて走ってないですけどね、また走ります」
現役選手としての山を登り終えても、山は無限にある。野球も指導の世界も広く深い。どこまで行くのか、どうやっていくのか、全ては自分次第だ。
勉強を続け、知識を深め、考え、実践し、動いていく。
「人と違うことをしたい」
思う道を進み続け、いずれ大引啓次は、誰とも違う指導者になっていくのだろう。
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