愛子さまと悠仁さま“日程ミス”事件
先ほど述べたように、広報は「オモテ」にあたる長官官房の総務課報道室などが担当する。それゆえ、「オク」を担う皇嗣職が直接に把握しているであろう佳子内親王の公務の詳細を、わかりやすい形で広報することが実現しにくい、そうした構造になっている。
しかも、皇嗣職は宮内庁長官の指揮下にはあるものの、皇居のある「千代田」と皇嗣が住む「赤坂」では距離的に離れており、そもそも皇太子がいたころの東宮職も古代以来やや独立した役所・部署といった感があった。その感覚が現在も残っているのである。
以前、愛子内親王の成人としての記者会見と悠仁親王の中学校卒業式の日程が重なってしまったことがあり、西村泰彦宮内庁長官は自身のミスとして謝ったことがあった。これは、「千代田」と「赤坂」という物理的な距離が起こした問題であるとともに、「オモテ」と「オク」との連携が取れていないことを示した。近年は宮内庁として、これまで以上に、「オモテ」と「オク」、そして「千代田」と「赤坂」を統合することが迫られているのではないか。
そもそも、宮内庁内部には「オモテ」と「オク」があるが、国民の総意に基づく象徴である天皇および皇族にあってその地位は、「公」と「私」の境界が曖昧である。結婚も進学も、プライベートでありながら国民的な関心を呼び、オフィシャルな側面を持つ。
新設される広報室は総務課に設置される。これまでと同じように天皇・皇族の公務を「オモテ」の立場だけで広報していては、SNSなどを導入したところで、ほとんど何も変わらないかもしれない。「オク」との連携を深め、より積極的な広報が求められるだろう。そしてそれは広報だけに限らない。「オモテ」と「オク」を積極的に束ね、象徴天皇制全体としてのプランを展開していけるかどうか、宮内庁にはそれが求められている。