1ページ目から読む
2/3ページ目

最強の秘密結社「イルミナティ」の実像

 イルミナティやフリーメイソンといった秘密結社が活発な活動をしていた1784年、バイエルン王国はこれら秘密結社の存在に危惧を抱いて、あらゆる結社の活動を停止する勅令を発令した。この勅令によってまだ結成8年目だったイルミナティは、大弾圧をくらうこととなった。弾圧によって自分の身に危険を感じたアダム・ヴァイスハウプトは、近隣のザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国へと亡命、そのままバイエルン王国に帰ることもなく亡命先で30年近く過ごし亡くなっている。

 つまり秘密結社イルミナティが、この世に存在できていたのは10年足らずに過ぎず、フランス革命が起きる前に解散させられていた組織だったのである。

 それでも潰れて230年以上たった現在でも、裏で世界を操る「悪の秘密結社」とか言われ続けているのだから、秘密結社「イルミナティ」、はある意味大したものではある。最もこれは「イルミナティ」そのものの成果というよりも、よってたかって「イルミナティ」を世界を牛耳る悪の秘密結社に祭り上げてしまった陰謀論者のみなさんの業績といえる。

ADVERTISEMENT

イルミナティとフランス革命の意外な関係

 すぐに潰れてしまった軟弱組織イルミナティが、延々と生き続ける「世界を牛耳る悪の秘密結社」へと祭り上げられたのは、イルミナティが潰れた後に起きた「フランス革命」のお陰だった。

 フランス革命の結果、王や教皇などから解放されてフランスには自由の天地が訪れるはずであった。だが以前の独裁体制は滅びたものの、自由の天地どころかフランスは恐怖政治の時代へともつれ込んで行ってしまった。

 革命の主役となった市民の側は「革命の方向を狂わせた黒幕がどこかにいるはずだ」と考え、その一方で既得権力から引きずり下ろされた王侯貴族や聖職者たちの側もまた「無知蒙昧な一般大衆が大規模な社会変革など実現できたわけがない」と決めつけ「犯人捜し」を必死で始めた。その結果、最終的に行き着いたのが「イルミナティ陰謀論」だったというわけだ。

「イルミナティ陰謀論」が生まれた理由は、フリーメイソンが陰謀結社とされたのと同じである。そもそもフリーメイソン陰謀論とイルミナティ陰謀論は、フランス革命の後に出版された一対の書籍から生み出された「双子の陰謀論」だったのだ。

 メイソンとイルミナティの陰謀を主張する書籍は、1797年に2冊刊行されている。1冊目がオーギュスタン・バリュエル(※3)という神父が書いた『ジャコバン主義に関する報告書』という書籍で、もう1冊がジョン・ロビソン(※4)という大学教授が出版した『確かな権威筋によって集められたフリーメイソンリーとイルミナティと読書協会の秘密の会合で続けられている欧州すべての宗教と政府に対する敵対する証拠』というやたら長い題名の本であった。

オーギュスタン・バリュエル
ジョン・ロビソン

 ロビソンの書籍の書名の中に、メイソンとイルミナティの両方が仲良く入っていることからも分かるように、両結社に対する陰謀論は、この頃ほぼ同時に生まれた。これら2冊の本はどちらも大ベストセラーとなり、フランス革命はメイソンとイルミナティによって引き起こされた陰謀であったと決めつける決定打とされていった。