コロナ禍での苦境が続いた宿泊業だが、水際対策の大幅な緩和により、インバウンドも回復しつつある。全国の温泉旅館は感染対策を施しながら、新たな「おもてなし」を模索している。その最前線に立ち続けているのが、各地の“女将”たちだ。
長年温泉旅館を取材し、『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)などの著書でも知られる山崎まゆみ氏が、そんな女将たちの“とっておきの仕事術”を紹介する。
◆ ◆ ◆
純和風のこぢんまりとした宿
旅館に泊まると必ず売店を覗くが、心動かされる物には巡り合えない。そんな私にしては珍しく、宮城県鎌先温泉「みちのく庵」では買い物心が躍った。
温泉街から少し離れた高台にあり、森のような安らぐ香りがする純和風のこぢんまりとした宿。売店と言えるほどのスペースはなく、帳場の一角とラウンジの棚に、まるで設えのごとく上品に商品が並んでいる。
女将の安倍裕貴さんは「宿は衣食住を体験できる場所なので、物が売れるんですよ」とほほ笑む。心地よい寝具やお尻まですっぽり覆う作務衣、「うちを香りで覚えて下さるように」と女将考案のオリジナルアロマなどが売れるのも、お客が体験したからこそ。購買欲が高まるのは百貨店以上かもしれない。なかでもオリジナル石鹸の売れ行きが好調なのは、使いきりやすい小ぶりサイズで250円という絶妙な値付けゆえか。
「『ありがとう。嬉しいわ』と素直に答えるべきよ」
安倍さんはよく気づき、思考する女将なのだ。その感性はどう磨くのか。
「山の中で暮らしながら様々なことを学べるのは女将の醍醐味です。教えてくださるのはお客様です。ファッションセンス、所作、物腰の柔らかさ、器の大きさなど、お客様から見習うと即実践します」
心に残っているお客さんとの会話がある。
女将自身が褒められた時のことだ。
「その髪型、素敵ね」
「そんなことないです……」
「それは『ありがとう。嬉しいわ』と素直に答えるべきよ」
今では褒めてもらうと、「ありがとうございます。素敵な方に褒められて嬉しいです」と返す。褒めた人も気分が良くなるダブル効果の返事を会得した。安倍さんの謙虚さゆえに学べた仕事術だ。