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《松本零士が語った『銀河鉄道999』誕生の日》「小倉から東京まで24時間機関車の旅」とメーテル“3人のモデル”

2023/02/23

genre : エンタメ, 芸能

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 この超ヒットを受け、2年後の1981年夏には続編にして完結編の『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』も公開。1作目ほどではなかったが、やはり大ヒットした。’80年代の中で松本作品はすっかり世に定着していったように思う。

 筆者的には『スペース開拓者 ワダチ』(’73年)や『時間旅行少年 ミライザーバン』(’76年)など語りたい先生の名作は数々ある。だが、今回はやはり生前に伺った『銀河鉄道999』への想いをご紹介したい。

『999』の原風景は「小倉から東京まで24時間機関車の旅」

『999』は説明するまでもなく宮沢賢治の名作『銀河鉄道の夜』(1934年)に着想を得て描かれた作品。だが、周知の通りそのベクトルは180度異なっている。

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「『999』は最初の5回分を編集部に渡してアフリカへ冒険に行き、5回で人気が出なければ連載打ち切りという約束でしたが、帰って来たら“いくらでも描いてください”と言われました。この頃、世界中を歩いて経験したことも作品には活かされています」

 作品のアイディア自体は、先生が九州からの上京時にすでにあったという。

「九州の小倉から東京まで蒸気機関車に乗り、24時間かけて上京しました。まさに鉄郎の旅立ちのように。小倉で住んでいた長屋の脇の5、6メートル先に鹿児島本線の線路があり、蒸気機関車の轟音が子守唄代わりでした。当時は街灯も少ない時代ですから夕方に汽車に乗り、関門海峡を越え、窓から外を見ると、まるで星の海を飛んでいるようでした」

©文藝春秋

 その時、あきら(晟/先生のご本名)少年は、「目の前にメーテルのような絶世の美女が座っていることを夢想し、“いつかこういう漫画を描くぞ!”」と、心に誓ったという。

「自分の少年の日の想いを形にしました。『999』は決して空想ではなく、自分の日常そのものが作品になりました」と語られていた『999』。時を越え、世代を越えても支持されヒットし続ける理由は、こうしたところにあるのかもしれない。

 作品への愛情も長く深いものだった。2014年のインタビューで

「『999』はまだ終わっていません。ひとつの壮大な物語を完成させることが子どもの頃からの夢でしたから。これからハーロックも千(1000)年女王もエメラルダスもメーテルも、何もかもいっしょになる物語を描き上げます。『999』は未完という意味です。“1000”になると完成しますが、描きたいことやようやくわかってきたこともたくさんあるので、『999』の新しい旅に期待してください」

 と、意気込みを語られていたのも忘れられない。