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《松本零士が語った『銀河鉄道999』誕生の日》「小倉から東京まで24時間機関車の旅」とメーテル“3人のモデル”

2023/02/23

genre : エンタメ, 芸能

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『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』、そして『宇宙戦艦ヤマト』などで著名な国際的漫画家の松本零士先生が2月13日午前11時、急性心不全のため死去された。福岡県出身。享年85。告別式は近親者だけで行われ、喪主は妻で漫画家の牧美也子さんが務められた。後日、お別れの会を開く予定。

花が供えられた「銀河鉄道999」の鉄郎とメーテルの像 ©時事通信社

松本先生といえばSFというイメージですが実は…

 松本先生といえば壮大なスケールのSF作品を描く作家というイメージで、戦闘機や計器類などの緻密で独特な描写は海外のSF映画にも多大なる影響を与えたが、意外にも最初のスマッシュヒットは「週刊少年マガジン」(講談社)に連載された『男おいどん』(’71年)という四畳半の下宿を舞台に展開する非モテ、沼男の物語だった。自身の「初・松本零士体験」が、特撮TVドラマ『光速エスパー』(’67年)のコミカライズだった筆者は初見の際、「松本先生ってこういう漫画も描くんだ?」と、意外に思ったことを覚えている。

『男おいどん』で人気漫画家の仲間入りを果たした松本先生の運命を大きく変えたのが、TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(’74年)だった。

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若かりし日の松本先生 ©文藝春秋

 先生はこの作品でキャラクター及びメカニックデザインや設定協力等を担当。絵コンテも描き、「冒険王」(秋田書店)でコミカライズ作品も執筆した。最初の放送こそ視聴率は不振だったが、3年後の夏に公開した総集編映画が大ヒット。その1年後に公開した新作続編『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(’78年)が社会現象になるほどの特大ヒットを記録。これが今に至るジャパニメーション作品の世界的席巻のきっかけとなった。 

 その頃にはもう『宇宙海賊キャプテンハーロック』(’77年)、『銀河鉄道999』(’77年)という2大オリジナル作品をヒットさせ、いわゆる“松本零士ブーム”を巻き起こしていた。「ああやはり松本先生はSFがお好きだったんだ」と再認識した当時の自分を思い出す。

松本作品ブームの最高到達点『銀河鉄道999』

 その松本先生ブームがピークに達したのが1979年夏公開の映画『銀河鉄道999』だった。のちに大作アニメ映画『幻魔大戦』(’83年)などを手がけるりんたろう監督が演出したこの映画は同年の邦画配給収入第1位を獲得。ゴダイゴが歌う主題歌も大ヒットした。これ以降、それまで子供向けのプログラム・ピクチャー扱いだったアニメ映画は、一般映画として全国公開されるようになる。