母との関係に悩み、現在は中学生の娘を育てる青木さやかさん。そんな彼女が、母との関係を振り返りながら、自身の娘との関係を見つめるエッセイ『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA)を上梓した。ここでは、同書より一部を抜粋。出産・育児の大変さを経験した青木さんが、過去に戻っても「親になることを選択したい」と考える理由を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

青木さやかさん(撮影=後藤利江)

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母親になって後悔してる?

『母親になって後悔してる』というイスラエルの社会学者(博士)、社会活動家が2016年に書いた本が、今注目されているのだという。内容紹介には、このように記されていた。

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「子どもを愛している。それでも母でない人生を想う。社会に背負わされる重荷に苦しむ23人の切実な思い。世界中で共感を集めた注目の書」

 その23人のうち多くの人が、もし過去に戻ることができるなら子どもを持つか持たないか? という質問に「持たない」と答えていた。それは、子どもを愛していないということではなくて、母親はこうあるべきという社会通念に耐えられない、自分の人生を生きてみたい、親という立場が向いていないと気づいた、 

 あまりにも1日も休みなく疲れている、常にお金が心配で気が休まらない、などが理由であった。

 わたしもわからなくもない。

 妊娠中は、「子どもってかけがえのない宝です」と言うのが当たり前だと既に決まっている社会の中で、生まれてくる子どもをわたしは本心から可愛いと思えるのだろうか、と、心配だった。

 生まれてみなくてはわからないじゃない。

 産めば可愛いと思うわよ、とか目の中に入れても痛くない、とか言うが、そんな頭お花畑みたいな人たちの話が、果たしてわたしに当てはまるのだろうか。妊娠中に、そっと耳元で「あなた子どもできて本当に良かったわね」と、知らない善人のおばさんに囁かれるたびに、子どもを持つ方が幸せだという心理がおばさんにはあるのだろうな、と感じた。おばさんは確実にそう思っていたのだと思うし、わたしもその世界に足を踏み入れることが何やら誇らしかったが、そうなると、子が生まれることへのネガティブな発言は、できなくなった。 

 社会的に模範となる感情しか許されない空気感は窮屈だ。

 妊娠の辛さたるや想像を絶していたし、出産の痛みときたら壮絶で、なぜ気を失わせてくれないのか、と医師と神に聞きたかった。これで2人目3人目と自然分娩で産む人の気がしれない。2人目があるならば、無痛分娩の選択しかわたしにはなかった。